【平成26年10月更新しました】 (発掘調査は7月で完了しました)
天神峯遺跡は、高麗川駅の北西約2.5㎞の日高市北端に位置しています。遺跡は高麗川とその支流である宿谷川にはさまれた台地上に立地しています。
調査区は台地の南斜面にあり、そのほとんどが緩斜面となっています。発見された遺構は、縄文時代の竪穴住居跡が2軒、平安時代の竪穴住居跡が2軒でした。他には近世の溝跡などが見つかっています。平安時代の住居跡から発見された土器の中には、底部に墨で文字がかかれた土器もありました。
平安時代の竪穴住居跡
補助員が移植ごてを使って発掘調査をしている様子です。白線で住居跡の形をマークして掘り下げています。半円形状に飛び出ている部分はカマドで、北側と東側から二つ見つかりました。
墨書土器(ただいま解読中)
平安時代の住居跡から見つかった墨書土器です。灰釉陶器(かいゆうとうき)の底に墨で文字が書かれています。二文字書かれているようですが、墨が薄くはっきりしません。
【以下、平成26年10月更新】 -----------------------------------
前回に掲載した平安時代の墨書土器の文字は、『賀厨』と読むことができました。『厨』は役所や寺院などの厨房施設を指すものです。
第4号住居跡
縄文時代前期の住居跡で、赤く見えるところが炉跡になります。斜面に建てられているため、低い側にあった住居の壁は失われています。
第4号住居跡炉跡
炉跡には、胴下半部を割り取った土器が埋められていました。
第5号土壙
出土した土器の下から打製石斧と石鏃が見つかったことから、この土壙はお墓と考えられます。土器は突起が4つあるもので、突起部分には粘土紐でX字状の文様がつけられており縄文時代早期末葉と考えられます。