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槙野地北遺跡(第4次) (幸手市)

読み方
まきのじきたいせき
場所
幸手市大字槙野地148他
調査期間
平成26年4月1日~平成26年12月31日
主な時代
縄文時代、古墳時代、奈良時代

【平成27年1月更新しました】

 槙野地北遺跡は江戸川堤防沿いの、下総台地上に位置する集落遺跡です。調査は4月から始まり、現在、重機による表土除去と遺構確認作業を経て、見つかった遺構(竪穴住居跡・土壙等)の調査を開始しました。竪穴住居跡からは土師器や須恵器などがみつかりはじめました。

 発掘調査の様子
遺構確認作業をしています。黒く四角く見える部分は竪穴住居跡です。

 確認作業の様子
確認された竪穴住居跡に白線を引き、印をつけています。

 竪穴住居跡の調査
確認した竪穴住居跡は移植ごてを使って少しずつ丁寧に掘り下げます。埋まっていた土の堆積状況を調べるため、土層観察用のベルトを十字に設定し、この部分を残して掘り下げます。

 

【以下、平成26年10月更新】 -----------------------------------

住居跡27軒、炉跡17基、土壙基などが発見されました。炉跡は、縄文時代早期(約7,000年前)のもので、当時の人々が火を焚いて調理をした施設と考えられています。
 縄文時代前期(約6,000年前)の土壙には当時の人々が食べた貝殻が捨てられており、貝の種類はアサリやハマグリ、イタボガキなどがありました。
 住居跡は古墳時代後期(約1,500年前)から奈良時代(約1,300年前)のものが多く、土師器や須恵器などの土器以外にも、鉄製品(鉄鎌・刀子)、玉類(臼玉・勾玉)、漁撈具(土錘・土玉)などが出土しています。須恵器には茨城県(新治窯跡)や静岡県(湖西窯跡)で生産された蓋や坏があります。

10月4日(土)に遺跡見学会を開催しました

Makinojikita10_1 縄文時代早期の炉穴

Makinojikita10_2 縄文時代前期の土壙。貝殻が詰まっていました。

Makinojikita10_3 古墳時代の住居跡

Makinojikita10_4 古墳時代のカマド。カマドから土器が出土しました。

Makinojikita10_5 奈良時代の住居跡

Makinojikita10_6 奈良時代の住居跡から出土した茨城県産の須恵器

 

【以下、平成27年1月更新】 -----------------------------------

 住居跡28軒、炉跡21基のほか、掘立柱建物跡、溝跡、土壙などが発見されました。
 新たに平安時代(約1200年前)の住居跡が見つかりました。墨書土器やロクロ土師器が出土しました。
 昨年度実施された第3次調査の成果と合わせると、縄文時代では地点貝塚が、古墳時代から平安時代では多くの住居跡が見つかりました。本遺跡は武蔵国と下総国の国界近くにあり、出土した土器から様々な地域との交流があったことが窺えます。
 発掘調査は12月に終了しました。

 住居跡群

 調査区全景