【平成27年3月更新しました】
稲荷台遺跡は、JR上尾駅から南西に約7㎞の荒川を臨む大宮台地の西端に立地しています。これまでの発掘調査で、縄文時代・古墳時代・平安時代の集落跡が発見されています。遺跡の谷を挟んだ北側の台地斜面には縄文時代早期末(約7500年前)の貝塚が見つかった平方貝塚、別の谷を挟んだ南側の台地上には古墳時代前期(約1700年前)の方形周溝墓群が見つかった薬師耕地前遺跡が所在しています。
今回の調査では、縄文時代の住居跡3軒と古墳時代の住居跡3軒および土壙墓などを確認しています。
遺構検出作業
発掘作業では、表土を剥いだあと、地面を丁寧に薄く削り、色や質の違いを観察します。昔の人々が造った家の跡などを見つけるための作業です。
写真の後方には、荒川低地に営まれている水田が広がっています。
遺構掘削作業
見つけた縄文時代前期(約6000年前)の住居跡の中に埋まっていた土を丁寧に掘り出しています。この住居跡からは100点を超える土器片が出土しました。発掘作業では土器が出土した場所の記録を残すので、動かさないように慎重に周りを掘り下げていきます。
第2号住居跡
縄文時代前期(約6000年前)の長方形の住居跡で、東側(写真右)が調査区域の外に拡がっています。大きさは東西5m以上、南北3.5m以上と推定されます。出土した遺物の多くは煮炊きに使っていた深鉢で、表面には半分に割った竹管で文様が描かれています。
第1号住居跡
古墳時代の初め頃(約1700年前)の住居跡です。長方形で、大きさは東西約6m、南北約4mです。中央付近が近世の溝2本に壊されているので、炉跡は見つかっていません。食器として使っていた土師器の埦(わん)と、煮炊きに使っていた甕(かめ)の破片が出土しています。
【以下、平成27年1月更新】 ————————————————————————————————————
稲荷台遺跡では、縄文時代の住居跡3軒・炉跡19基、古墳時代の住居跡3軒・土壙墓1基と近世の掘立柱建物跡6棟・土壙・溝跡等の発掘調査を行っています。縄文時代の1軒の住居跡には、小規模な貝塚が形成されていました。また、古墳時代の住居跡の分布状況から、当時のムラが台地の先端部まで広がっていることがわかりました。
第3号住居跡貝層
縄文時代早期中頃(約8000前)の住居跡で、人が住まなくなった後に貝殻が捨てられ、貝塚がつくられました。貝の種類は、河川の河口などの淡水と海水が入り混じった汽水域で生息していたヤマトシジミです。貝殻を取り除いた下からは、壁ぎわに小さな柱穴が楕円形に並び、中央から炉も確認されました。また、住居跡の周囲からは5基の炉穴がまとまって見つかりました。
第5号住居跡
古墳時代前期(約1700年前)の住居跡で、東側の半分以上が調査区域外にあります。近世の溝跡に壊されていましたが、4本柱の柱穴の一部と壁際に巡る浅い溝が見つかりました。また北西の隅には、食べ物などを保管していた貯蔵穴がありました。
旧石器文化層掘削作業
関東ローム層中から、石器を作る時に剥離した破片のまとまりが3箇所見つかりました。約2万年前の第1ユニットでは6m四方の範囲から、150点以上の石片が出土しましたが、石器は1点もなくすべて剥片でした。石の材質には、黒曜石とチャートの2種類があります。
【以下、平成27年3月更新】 ————————————————————————————————————
これまでの調査で、縄文時代の竪穴住居跡4軒、古墳時代の竪穴住居跡3軒や土壙墓などが発見されました。
第6・7号住居跡
縄文時代の住居跡が2軒重複して検出されました。浅く、古い住居跡をさらに深く掘って、新しい住居跡がつくられています。新しい住居跡からは、縄文時代前期末(約5500年前)の土器が出土しました。
遺物包含層の掘削
台地を浸食した谷に堆積した、土器や石器を含んだ黒い土(遺物包含層)を掘り下げています。上層からは古墳時代の土器、下層からは縄文時代の土器や石器が出土しています。