【平成28年3月更新しました】 平成26年度の調査はこちら
旧利根川堤防跡は、東武伊勢崎線加須駅から北に約8㎞の地点で、樋ノ口遺跡と宮東遺跡の中間に位置しています。調査は利根川の堤防強化工事に伴って平成26年度から行っており、今年度は第2次調査になります。
平成26年度には、江戸時代から近代にかけて築かれた旧堤防跡の調査を終え、現在は旧堤防を除去し、築堤以前の中世面の調査を行っています。
調査区の西側には墓地が広がり、東側では井戸跡が多数検出されています。
西側と東側で、土地の使い方が異なっていたようです。
多数の土壙墓が検出されました。被葬者の姿勢が確認できた土壙墓では、全て身をかがめた屈葬で、その多くは頭を北に向けて埋葬されていました。
土壙墓は約10m四方の範囲内に集中しており、複数が重なり合っていました。
多くの土壙墓には古銭(永楽通宝)が6枚副葬されていました。写真の土壙墓では古銭の他に、鉄製品(刀子?)と水晶製の数珠、かわらけが副葬されていました。
【以下、平成27年7月更新】 -----------------------------------
引き続き堤防が築かれる以前の中世面の調査を行っています。これまで、人骨が検出されたものも含め、土壙57基のほか、井戸跡21基、溝跡6条と多数の柱穴が発見されました。調査区の西側は墓地、中央には溝跡と柱穴群、東側には多数の井戸跡が発見され、場所によって土地利用の様子が違うことがわかりました。
調査区中央には、南北方向の溝跡と多数の柱穴が見つかっています。柵列や建物があったと想定されます。
調査区東側の井戸跡からは、板碑や宝篋印塔などの石造物や、かわらけ、ほうろく、陶磁器片、漆椀など様々な遺物が出土しています。
この井戸跡の上層からは、宝篋印塔の基礎、石臼などが出土しました。
同じ井戸跡の下層からは、板碑が多数出土しました。
【以下、平成27年10月更新】 -----------------------------------
引き続き堤防が築かれる以前の中世面の調査を行っています。これまでに、人骨を伴う土壙墓も含めて、80基以上の土壙が確認されています。
また、7月からは旧堤防跡の調査にも着手し、中世末~近世初頭頃の堤防盛土を確認しています。調査地点は昨年度調査区の東隣りで、利根川の下流側にあたります。
昨年度の調査では、砂山に土を被せるように盛った工法が確認できましたが、今回の調査地点では、ほとんど砂を使わずに土を積み重ねて築堤した工法が確認できました。場所によって異なる盛土の様子を明らかにすることが、今後の調査の課題です。
昨年度の調査区と今年度の調査区の境に近い地点の調査状況です。旧堤防跡は、盛土の高さが3m近く残っていました。砂を盛っている状況がわかります。
調査区内で最も東側にあたる場所です。ここではまったく砂を使わずに築堤していました。
【以下、平成27年12月更新】 -----------------------------------
引き続き中世の土壙墓群の調査を行っています。これまでに約100基の土壙墓が確認されており、埋葬された人骨とともに古銭やかわらけ、鉄製品などが出土しました。同時進行している旧堤防跡の調査では、重機で近世(江戸時代)の堤防の斜面を検出しています。
土壙墓の調査風景です。骨や遺物を慎重に掘り出しています。
土壙墓からは、頭を北に向けて埋葬された人骨が検出されました。ひざを曲げて体を折りたたんでいるのがわかります。頭蓋骨の右側には鉄製品(はさみ)と古銭(六文銭)が埋納されていました。
重機で近現代の盛土を除去し、近世(江戸時代)の堤防の斜面を検出しています。
【以下、平成28年1月更新】 -----------------------------------
引き続き中世の土壙墓群と、近世(江戸時代)の堤防跡の調査を行っています。
近世の堤防跡の斜面を検出しました。写真奥から手前にかけて緩やかなカーブを描いているのが分かります。
平面的には、調査区の南側に膨らむようにカーブしており、明治初めに旧陸軍が作成した「迅速測図」に記録されている約120年前の堤防の姿と一致します。
盛土の断面を観察すると、堤防に火山灰が3cmほど堆積している状態が確認できました。浅間山が天明3(1783)年に噴火したときの火山灰のようです。
最も古い段階(江戸時代初頭)の堤防の斜面を人力で検出しています。
【以下、平成28年3月更新】 -----------------------------------
昨年度から調査を行ってきた中世の土壙墓群の調査は1月に終了しました。約10m四方の範囲で見つかった土壙墓は131基にものぼります。ほぼすべての土壙墓で人骨が出土しました。
一番古い段階(中世末~江戸時代初頭)の旧堤防を検出しました。一部分ではありますが、旧堤防の中心部分が姿を現しました。
検出された中心部分を堤防の方向に沿って断ち割ったところ、築堤方法が明らかになりました。それは、土山と土山が少し重なるように配列し、その間に土を入れ、最後に全体の高さを揃えて平坦面を整えるというものです。