【平成31年3月更新しました】
栗橋宿は日光道中(街道)の江戸から7番目の宿場です。JR宇都宮線栗橋駅の東約1㎞の利根川沿いにあります。第9地点は、宿場の町屋が立ち並んでいた区域にあたります。昨年10月から開始され、現在は引き続き第二面(江戸時代後期)を調査中です。
【以下、平成30年7月更新】 ————————————————————————————————————
樽を等間隔に並べた「桶樽地業(おけたるじぎょう)」の建物を調査しました。蔵造(くらづくり)の建物基礎であると考えられます。樽と樽の間は砂利・川砂と粘土質の土が交互に敷きつめられており、樽の中にも川砂利がぎっしりと詰められていました。
樽は逆さまに置かれていました。側面には、「しるし」と呼ばれる墨書きの記号が書かれ、さらに「大和屋」・「改誥 (あらためづめ)」の焼印が捺(お)されています。この樽が何度も再利用を繰り返された末に、建物の基礎に使われたことがうかがわれます。
樽の下には建築部材が再利用されていました。直径10㎝前後の丸太材が敷き詰められていました。
【以下、平成30年10月更新】 ————————————————————————————————————
第一面(江戸時代末期頃)の調査を終えました。写真は第二面(江戸時代後半)まで掘削を行っています。
人力で地面を丁寧に削り、「遺構 (いこう)」の確認をしています。土の色や質の違いから遺構の重なりや分布を把握したら、いよいよ第二面の発掘調査に入っていきます。
【以下、平成30年12月更新】 ————————————————————————————————————
第二面(江戸時代後半)の調査を継続して行っています。
土壙からは、江戸時代のひとびとが使っていたお皿や茶碗、曲物などが出土しています。
重なり合って埋まっている遺物は、出土した状態を詳細な図面に記録していきます。
【以下、平成31年1月更新】 ————————————————————————————————————
栗橋宿跡の調査もいよいよ終盤、2月3日(日)には、最後の遺跡発表会を予定しています。発掘現場は、江戸時代の人々が繰り返し掘ったり埋めたりした穴の跡が重なり合っています。穴の中からは当時の暮らしぶりを彷彿(ほうふつ)とさせる遺物の数々が出土しています。
お正月の時期にふさわしく、お祝い用に使われた遺物が出土しました。
漆で表面が赤く塗られた「角樽(つのだる)」です。角のように上にとび出た一対の部分に柄がわたされた樽で、柄樽(えだる)ともいいます。
墨で文字や記号が書かれた木製品や陶磁器もたくさんみつかっています。かなや漢字が生活の中に浸透していたことがうかがわれます。屋号や持ち主、中身などが書かれています。
壊れやすい遺物が重なり合っている遺構では、刷毛(はけ)や竹べらを使って丁寧(ていねい)に土を取り除いていきます。とても根気のいる作業です。
【以下、平成31年3月更新】 ————————————————————————————————————
栗橋宿跡第9地点の発掘調査は、3月末で終了しました。
発掘調査の成果は、今後刊行される報告書にまとめて、公開されます。
江戸時代後期の第二面の様子です。狭い区画の中に木製品や陶磁器などを廃棄した土壙が繰り返し掘られ、足の踏み場もないほどです。
日光道中から東の利根川の土手へと抜ける道路の下から、江戸時代後期まで遡る道路跡が見つかりました。断面を観察すると、洪水のたびに整地が繰り返され、連綿と使われつづけてきたことがわかりました。