【平成30年12月更新しました】
芦苅場・向原A遺跡は、飯能市の北東、圏央道狭山日高インターから北西約800mに位置しています。遺跡は武蔵野台地の北側、南小畔川の右岸に立地しています。縄文時代中期(約5,000年前)の環状集落や中世の遺構が見つかっています。
ジョレンという道具で地面を削って住居跡などの遺構を見つけています。
縄文時代中期の住居跡を手で掘り下げています。
縄文時代中期の住居跡からは、完形に近い土器がつぶれた状態で見つかっています。
【以下、平成30年7月更新】 ————————————————————————————————————
掘り終えた縄文時代中期の住居跡です。中央には石で囲った炉跡があります。周溝が三重に巡り、柱の穴も重なっています。複数回建て替えられたと考えられます。
縄文時代中期の集石土壙(しゅうせきどこう)です。写真は半分掘った状態で、石が詰まっている様子がわかります。穴の底からは炭が検出されました。屋外で調理を行った跡(あと)と考えられています。
調査区を上空から撮影した全景写真です。北側(写真上方)には、南小畔川(みなみこあぜかわ)が東流しています。
【以下、平成30年10月更新】 ————————————————————————————————————
縄文時代中期の竪穴住居跡の調査状況です。床面中央部から石囲い炉が見つかりました。
竪穴住居跡から出土した縄文土器です。埋土の上層から縄文土器がまとまって出土しました。
実測作業風景です。竪穴住居跡から遺物が出土した状態を図面に記録しています。
【以下、平成30年12月更新】 ————————————————————————————————————
発掘調査は、10月で終了しました。遺跡は縄文時代中期中葉から後葉(約5,000年前)の環状集落(かんじょうしゅうらく)で、そのうちの北半分が調査区から検出されました。調査した竪穴住居跡は74軒で、たくさんの土器や石器などの遺物が見つかりました。また、集石土壙(しゅうせきどこう)が86基検出されました。集石土壙は、屋外で調理を行った施設と考えられるもので、中から焼けた石が密集して見つかりました。石をどけると炭の層が残っていたものもありました。このような良好な状態の集石土壙が数多く見つかり、大変貴重な発見となりました。
重なり合って検出された住居跡です。右側の住居跡からは、壁に沿って掘られた溝が何重も見つかりました。何度も建て替えられていたことが分かります。
遺跡全景(東より)。遺跡の西側の谷には南小畔川が南西から北東方向に流れています。