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集 | 書名 | 発行年 | 調査原因 | 市町村 | 主な時代 |
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355 | 大木戸遺跡I | 2008 | 土地区画整理(大宮西部) | さいたま市 | 旧石器~弥生・近世 |
大宮台地の西縁に立地する遺跡で、旧石器時代から近世の複合遺跡。旧石器時代は、大宮台地で発見例の少ない後期旧石器前半の石器群が出土。 縄文時代は、中期末~後期初頭の柄鏡形住居が多数検出され、うち1軒は平坦な礫が敷かれた敷石住居跡。弥生時代は、後期の住居跡が11軒検出 され、うち1軒からは一括廃棄されたと思われる土器が19個体まとまって出土している。 | |||||
356 | 小林八束1/小林八束2 | 2008 | 河川改修(元荒川/小林調節池) | 久喜市 | 縄文・古墳 |
小林八束1遺跡では、縄文時代後期の住居跡2軒・土壙7基が検出され、筒形土偶が出土。また、古墳時代前期の住居跡10軒と方形周溝墓3基のほか、 古代と思われる炭焼窯が調査された。小林八束2遺跡では、炉穴9基が検出され、縄文時代早期の土器が出土している。 | |||||
357 | 松原前遺跡 | 2008 | 主要地方道(川越坂戸毛呂山線) | 鶴ヶ島市 | 縄文・中近世 |
入間台地上の遺跡で、550㎡という狭い範囲から縄文時代前期の住居跡2軒のほか江戸後期の溝跡や土壙が検出された。 特に、住居跡は黒浜式期のもので、市域では初出。 | |||||
358 | まま上遺跡 II | 2008 | 河川改修(葛川) | 毛呂山町 | 平安~近世 |
まま上遺跡は、これまで9次の調査で縄文時代と平安時代の集落跡が検出されており、今回は平安~中・近世の遺構が調査された。 特に平安時代は、住居跡7軒と溝跡1条が検出され、住居跡からは「王」「春」の墨書土器のほか、灰釉陶器・鉄斧・刀子などが出土した。 | |||||
359 | 銭小田遺跡/伝旧不動寺跡 | 2009 | 施設(ホンダ新工場) | 寄居町 | 縄文・中世・近世 |
外秩父山地の東端に位置する鷲丸山の尾根上の遺跡。銭小田遺跡からは、縄文時代中期後半(加曾利EI式)の住居跡1軒が検出された ほか、黒曜石の原石が出土。伝旧不動寺跡からは溝跡・井戸跡・建物跡などが検出された。不動寺本体ではなかったものの、それに関連した施設と思われる。 | |||||
360 | 東野/平沼一丁田 | 2009 | 国道(圏央道) | 川島町 | 縄文・古墳・中世・近世 |
東野遺跡では、地表下約4.5mから縄文時代前期終末の集落が検出され、貴重な調査例となった。平沼一丁田遺跡は、縄文時代中期、古墳時代前期、中・近世の複合遺跡で、古墳時代前期では周溝状遺構や柱根の残る掘立柱建物跡などが調査されている。 | |||||
361 | 反町遺跡I | 2009 | 土地区画整理(高坂駅東口第二) | 東松山市 | 弥生~中世 |
弥生時代中期から中世にいたる竪穴住居跡117軒・方形周溝墓7基・古墳跡12基をはじめとする多数の遺構・遺物が出土。 特に、住居跡の1軒は水晶製勾玉・碧玉製管玉の製作工房であることがわかった。また、流路跡からは多量の土器・木製品が出土 しており、岸辺には「神矢」「弓」「三田万呂」「飯万呂」などの墨書土器や雁股を用いた古代の祭祀跡が検出された。 | |||||
362 | 安養寺古墳群 | 2009 | 主要地方道(鴻巣羽生線) | 鴻巣市 | 古墳・中世・近世 |
古墳時代前期の方形周溝墓3基と円形周溝墓2基を検出。うち方形周溝墓1基には主体部が残存しており、鉄製の短剣やガラス 小玉が出土した。また、周溝からは底部穿孔の壺形土器をはじめ多数の土器が出土している。 | |||||
363 | 古里古墳群駒込支群 | 2009 | 主要地方道(熊谷小川秩父線) | 嵐山町 | 古墳・近世 |
駒込支群は、比企丘陵の北東端に分布する古里古墳群の中でも最大規模の支群で、これまで26基の円墳が確認されていたが、 今回の調査で新たに1基の円墳(6世紀前葉)を追加することとなった。 | |||||
364 | むじな塚遺跡 | 2009 | 住宅(共同住宅) | 寄居町 | 縄文・近世 |
これまで9次にわたる調査が実施され、縄文時代前~中期と古墳時代後期の集落が確認されている。 今回は縄文時代中期勝坂期後半の住居跡6軒を調査。掘り込みはほとんどなく出土遺物は少ないが、住居跡に 囲まれた中央部に集石土壙5基を検出。何れの礫も被熱し、赤く変色している。 | |||||
365 | 元宿遺跡 | 2009 | 国道(圏央道) | 川島町 | 古墳~近世 |
周囲を河川に囲まれた低地部の自然堤防上に営まれた集落。古墳時代前期の周溝状遺構は 方形周溝墓群と地域を分けて分布。また、方形周溝墓の1基からは構内土壙を検出。遺跡名との関連 は不明だが、中・近世では集落域が拡大している。 | |||||
366 | 清河寺前原遺跡 | 2009 | 土地区画整理(大宮西部) | さいたま市 | 旧石器・縄文・中世・近世 |
旧石器時代では4枚の文化層(第3~10層)が確認されており、特に第4文化層(後期旧石器時代前半)では、 狭い範囲に11ヶ所の石器集中が環状に検出。また、出土石器1,400点中1,000点が良質な黒曜石で、多くの接合資料が得られた。 | |||||
367 | 宮町遺跡 | 2010 | 施設(さいたま地家裁熊谷支部庁舎) | 熊谷市 | 奈良・平安・中世・近世 |
奈良・平安時代では24軒の竪穴住居跡のほか、特に四面庇付の掘立柱建物跡の近くに完存率の高い坏類を一括廃棄した 土壙を複数検出。「上家」「楊井」の墨書土器出土。中世では、断面箱薬研状の溝跡を検出し、熊谷氏館跡との関連がうかがえる | |||||
368 | 上早見新田西遺跡 | 2010 | 県道(六万部久喜停車場線) | 久喜市 | 縄文・近世 |
縄文時代後期初頭(称名寺式)の竪穴住居跡5軒のほか、後期初頭~前葉の土壙13期と近世の溝跡2条を検出。 住居跡の掘り込みは確認できなかったが、土壙の内2基は袋状土壙で、多量の称名寺式土器を出土。 | |||||
369 | 銭塚 II/城敷I | 2010 | 土地区画整理(高坂駅東口第二) | 東松山市 | 弥生~近世 |
銭塚遺跡は古墳時代中期~平安時代の集落で、特に4×3間総柱構造の第18号掘立柱建物跡が注目される。 破格の規模と構造で、畿内産土師器が出土。城敷遺跡は古墳時代を中心とし、集落内の大溝跡(河川流路)が特徴的。 大溝内からは多量の遺物と祭祀跡が検出。特に、須恵器樽型はそうや多様な木製品が注目される。 | |||||
370 | 道仏上/道仏北/伝承旗本服部氏屋敷跡 | 2010 | 主要地方道(新橋通り線) | 宮代町 | 縄文・中世・近世 |
近世主体の道仏上遺跡と谷を隔てて東側に対峙する道仏北遺跡では、縄文時代前期中葉の住居跡を5軒検出した。 伝承旗本服部氏屋敷跡では、今回の調査で大規模な堀跡の他土壙・井戸跡・掘立柱建物跡などが検出された。堀跡は中世まで遡る。 | |||||
371 | 中道・中道下遺跡 | 2010 | 都市計画道路(岡通線) | 朝霞市 | 縄文~平安 |
縄文時代中期末用~後期前葉の住居跡4軒、弥生時代後期の住居跡16軒のほか、古墳時代後期1軒と奈良・平安時代5軒の竪穴住居跡を調査。特に、弥生時代の集落は、この地域の中核的集落と思われ、主軸方向から2グループに分けられる。 | |||||
372 | 菱沼/明戸東 II | 2010 | 県道(深谷飯塚線) | 深谷市 | 古墳~平安 |
両遺跡とも布沼低地内の自然堤防上に立地し、奈良時代を中心に、古墳時代末から平安時代にかけての集落が検出された。 | |||||
373 | 前原/大沼 | 2010 | 国道(圏央道) | 桶川市 | 旧石器・縄文・古墳・中世・近世 |
前原遺跡は、縄文及び古墳時代の集落遺跡。特に、縄文前期末の土器が逆位で出土した土壙は、甕被り葬と思われ、注目される。また、古墳時代前期の水晶の玉作り工房は、東松山市反町遺跡とともに関東最古級の調査例。大沼遺跡は、中・近世を主体とする遺跡で、大溝から多量の陶磁器が出土。 | |||||
374 | 西別府館跡 | 2010 | 県道(新堀尾島線) | 熊谷市 | 奈良・中世・近世 |
奈良時代を主体とする遺構を検出。周辺には、郡家跡とされる幡羅遺跡や西別府廃寺、西別府祭祀遺跡など古代幡羅郡の中核となる遺跡があり、本遺跡はその周縁部に広がる集落と位置づけられる。 | |||||
375 | 川越田遺跡 II | 2011 | 河川改修(女堀川) | 本庄市 | 古墳・古代~近世 |
古墳時代前期と古墳時代後期の二面の調査で、計103軒の竪穴住居跡を検出。特に、多量の遺物が出土した第51号住居跡(前期)では、他地域の系譜をひく土器が注目される。古代以降では、条里制に伴う溝跡や畠跡を検出。 | |||||
376 | 皂樹原・檜下遺跡 | 2011 | 施設(㈱ワンビシアーカイブズ) | 神川町・上里町 | 縄文・奈良・平安・中世以降 |
奈良・平安時代の大規模集落や鍛冶工房跡、土師器窯跡および中世の館跡などを検出。「冨」「中」「成」等の墨書土器が出土。館跡は「阿保境の館跡」と呼ばれ、規模は一町半四方を超える。 | |||||
377 | 野中/癭ヶ谷戸 | 2011 | 国道(254号猪俣バイパス) | 美里町 | 縄文・古墳・中近世 |
野中遺跡は、古墳前期・奈良・平安時代を主体とし、古墳前期の土器の廃棄をともなう祭祀的な遺構を検出。癭(こぶ)ヶ谷戸遺跡では、縄文中~後期の土器片が多量に出土。 | |||||
378 | 東原遺跡 | 2011 | 主要地方道(飯能寄居線) | 毛呂山町 | 縄文・奈良・平安・中近世 |
毛呂山台地上に立地し、奈良・平安時代を主体とする集落を検出。中・近世では、銅製錫杖頭が出土。 | |||||
379 | 大山遺跡 第13・14次 | 2011 | 施設(県立精神医療センター) | 伊奈町 | 奈良・近世 |
大山遺跡は、縄文~近世の複合遺跡で、特に古代の製鉄炉や炭焼窯の調査で知られる。本調査では、奈良時代の住居跡から多量の製鉄関連遺物が出土。 | |||||
380 | 反町遺跡 II | 2011 | 施設(ユニー) | 東松山市 | 弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世 |
弥生~古墳前期の拠点的集落。玉作り工房跡やガラス小玉鋳型が出土。河川跡からは堰跡や大量の木製品が出土。古墳後期には前方後円墳を中心に多数の円墳が検出され、各種の埴輪も出土。 | |||||
381 | 中尾遺跡 | 2011 | 主要地方道(飯能寄居線) | 毛呂山町 | 奈良・平安・近世以降 |
奈良・平安時代の集落跡を検出。平安時代の住居跡の1軒から検出された鍛冶工房跡は毛呂山町初出。 | |||||
382 | 城敷遺跡 II | 2011 | 土地区画整理(高坂駅東口) | 東松山市 | 古墳・中近世 |
古墳時代の大規模な集落遺跡で、集落内の大溝からは多量の土器や木製品とともに祭祀跡も発見。また、古墳時代中期後半以降の滑石製品の工房跡2箇所を検出。 | |||||
383 | 代正寺 II/大西 II | 2011 | 国道(407号) | 東松山市 | 古墳・中近世 |
代正寺遺跡では古墳跡2基が検出され、うち1基は高坂古墳群第49号墳であることを確認。大西遺跡では前回調査で未発掘のカマド部分を調査した。 | |||||
384 | 三竹遺跡 | 2011 | 河川改修(入間川) | 川島町 | 古墳・奈良以降・中近世 |
今回の調査では5基の古墳跡が発見され、うち1基には二重の周溝が検出された。円筒埴輪・形象埴輪が出土。 | |||||
385 | 富田後遺跡 | 2011 | 国道(圏央道) | 川島町 | 縄文・古墳・中近世 |
古墳時代前期を中心とする遺跡で96基の「周溝状遺構」が検出された。また、7基の方形周溝墓は標高の高い部分に構築されている。 | |||||
386 | 塚原古墳群 | 2011 | 施設(特別支援学校) | 深谷市 | 古墳・中近世 |
今回の調査では、古墳時代後期の古墳跡2基が調査され、円筒埴輪が出土。また、立会調査で7基の古墳跡を確認。他に中世の竪穴状遺構1基を検出。 | |||||
387 | 番戸遺跡 | 2012 | 地方特定道路(長瀞玉淀自然公園線) | 長瀞町 | 縄文・古墳・奈良・平安・中近世 |
古墳時代~中・近世の集落跡で、平安時代の土壙から墨書のある須恵器が出土。また、中・近世の遺構からは、青銅製の錘や火縄銃の玉が出土。 | |||||
388 | 船原・内郷通/内郷/窪 | 2012 | 自転車歩行者道 | 行田市 | 縄文・奈良・平安・中近世 |
船原・内郷通遺跡、内郷遺跡は、奈良~中・近世の集落跡で、奈良時代の竪穴住居跡3軒を検出。中・近世の遺構からは板碑が出土。 | |||||
389 | 向/十二天/青柳古墳群南塚原支群/皂樹原 II | 2012 | 農業水利(神流川) | 本庄市/神川町 | 旧石器・縄文・古墳・平安・中近世 |
4遺跡は、県北西部の児玉地域に位置する遺跡群。向井・十二天遺跡は、平安時代の集落跡で竪穴住居跡16軒を検出。特に則天文字に類する特殊文字を用いた朱書土器は注目される。また、青柳古墳群の一画から、前期の方形周溝墓2基を検出。 | |||||
390 | 新田東遺跡 | 2012 | 地方特定道路(飯能寄居線) | 毛呂山町 | 縄文・近世 |
縄文時代中期の環状集落で75軒を検出。集落中央には土壙群と掘立柱建物跡がまとまって検出された。また、北側斜面に大量の遺物が集中する廃棄場を確認。 | |||||
391 | 皿沼西/戸森前 | 2012 | 河川改修(福川調節池) | 深谷市 | 縄文・弥生・古墳・奈良・平安・近世 |
古墳~平安時代の集落跡。古墳時代前期のいわゆる『初期カマド」を持つ竪穴住居跡を調査。また、検出された建物跡に弘仁9年の大地震の痕跡が確認できた。 | |||||
392 | 大山遺跡 第12次 | 2012 | 施設(県立がんセンター) | 伊奈町 | 古墳・奈良・平安 |
奈良・平安時代の製鉄遺跡として知られており、今回の調査で製鉄炉9基・鍛冶工房跡3軒・粘土採掘坑3ヶ所・排滓場5ヶ所などを検出。 | |||||
393 | 反町遺跡 III | 2012 | 土地区画整理(高坂駅東口) | 東松山市 | 縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中近世 |
弥生時代~中世の複合遺跡で、古墳時代前期が中心。弥生時代は、住居跡26軒と後期前半のまとまった資料。古墳前期の水晶・緑色凝灰岩の玉作工房跡を検出。 | |||||
394 | 前谷遺跡 | 2012 | 住宅(戸建分譲住宅) | 戸田市 | 古墳・平安・中近世 |
古墳時代前期~中・近世の集落跡。特に古墳時代前期では、居住施設の一部と考えられる周溝状遺構6基を検出。 | |||||
395 | 桜山遺跡 II | 2012 |
施設(県立循環器・呼吸器病センター) |
熊谷市 | 縄文・古代 |
縄文時代の集石遺構と土壙を検出。集石遺構は前期初頭と思われ、内部からは被熱した礫と石器片が出土。 | |||||
396 | 南原遺跡 | 2012 | 住宅(共同住宅) | 戸田市 | 古墳・平安・中世 |
古墳時代から中世にかけた断続的な集落跡。古墳時代中期の住居跡の床面から高坏6個体がまとまって出土。 | |||||
397 | 立原小路遺跡 | 2012 | 県道(坂本寄居線) | 寄居町 | 縄文・近世 |
縄文時代中期の、石囲い炉を中心とした円形の敷石住居跡1軒を調査。県内でも最も古い事例の一。近世は、土壙・溝跡・井戸跡等を検出。 | |||||
398 | 下野田稲荷原遺跡 II | 2013 | 国道(463号)浦和インターチェンジ | さいたま市 | 縄文・古墳・平安・中世 |
古墳時代前期・平安時代・中世の集落跡で、土壙・溝跡等を検出。 | |||||
399 |
氷川神社遺跡 II |
2013 | 街路整備(川越上尾線) | 川越市 | 古墳・近世~近代 |
古墳時代前期の土壙、近世以降の建物跡等を調査。建物跡は、19世紀後半の礎石立建物跡で、向きを揃えて2棟検出された。 | |||||
400 | 川越田遺跡 III | 2013 | 河川改修(女堀川) | 本庄市 | 古墳・古代・中世~近世 |
古墳時代を主体とする集落跡。特に、古墳時代後期の祭祀跡からは手捏ね土器約130個が出土し、県内でも希少な調査例。他に臼玉・鉄鏃などが出土。 | |||||
401 | 下田遺跡 | 2013 | 国道(坂戸西スマートインターチェンジ) | 坂戸市 | 古墳・平安・中近世 |
古墳時代の集落と平安時代の水田跡を検出。水田跡は入西条里の一部と考えられ、入西条里が本遺跡を含む葛川の東にまで広がっていたことを確認。 | |||||
402 | 代正寺III/大西 III | 2013 | 県道(岩殿観音南戸守線) | 東松山市 | 弥生・古墳・平安・中世・近世 |
代正寺遺跡では弥生時代の住居跡・方形周溝墓の他環濠の可能性のある溝跡を検出。大西遺跡では、平安時代の住居跡から大量の緑釉・灰釉陶器が出土。 | |||||
403 | 高麗石器時代住居跡遺跡 | 2013 | 国道(299号) | 日高市 | 縄文 |
縄文時代中期の国指定史跡として知られるが、平成20・23年度調査で、同期の住居跡が新たに13軒追加され、環状集落の形態をもつことが確認された。 | |||||
404 | 天神台東遺跡 | 2013 | 河川改修(越辺川) | 鳩山町 | 縄文・弥生・奈良・平安・中近世 |
縄文前期黒浜式期の大型住居跡を検出。弥生後期初頭の集落跡から岩鼻式土器古段階の良好な資料が出土。中世の井戸跡4基は石組・木組を良好に残す。 | |||||
405 | 大木戸遺跡 II | 2013 | 土地区画整理(大宮西部) | さいたま市 | 旧石器・縄文・古墳・近世 |
旧石器時代終末期の石器が出土。縄文時代後期前~中葉の集落跡を調査し、多量の土器が出土。古墳時代初頭の方形周溝墓を4基検出し、うち3基で主体部を確認。 | |||||
406 | 高木道下(C-99号)/高木道下北 | 2013 | 土地区画整理(大宮西部) | さいたま市 | 旧石器・縄文・中世・近世 |
高木道下遺跡では、縄文前期~後期の集落を調査し、特に前期末の住居跡を検出。高木道下北遺跡では、中世末の土壙から鉄鍋の鋳型が出土。 | |||||
407 | 八條遺跡 | 2013 | 河川改修(中川) | 八潮市 | 平安・中世・近世 |
平安時代の住居跡から、官人の腰帯具である丸鞆・蛇尾や置きカマドが出土。中世の土壙墓からは同安窯系青磁や刀が出土。 | |||||
408 | 外東遺跡 II | 2014 | 堤防(荒川) | さいたま市 | 古墳・奈良・近世 |
古墳時代初頭の周溝状遺構群が検出。第1次調査と合わせて20軒以上の大規模な集落であったことを確認。 | |||||
409 | 諏訪北I/諏訪北 II/諏訪南/二ツ家下 | 2014 | 国道(圏央道) | 桶川市/北本市 | 縄文・平安・中近世 |
諏訪北I・II、諏訪南では縄文時代及び中・近世の集落を調査。特に中世の地下式壙や、大規模な薬研堀を検出。二ツ家下遺跡では中山道に面した屋敷地を調査。 | |||||
410 | 諏訪野遺跡I | 2014 | 国道(圏央道) | 桶川市 | 縄文・近世 |
縄文時代を主体する集落跡。特に、検出された44軒の住居跡は中期中葉~後葉に属し、外径約180mの環状集落を構成すると考えられる。 | |||||
411 | 荒川附遺跡 III | 2014 | 県道(上尾蓮田線) | 蓮田市 | 古墳・古代・中近世 |
奈良・平安時代を主体とする遺跡で、土師器を焼いた土器焼成遺構や鍛冶工房跡を検出。 | |||||
412 | 宝蔵寺/新井宿上一斗蒔/東町裏 | 2014 | 県道(さいたま鳩ヶ谷線) | 川口市 | 縄文・中世・近世 |
中世~近世を主体とする遺跡群で、日光御成街道の建設・整備に関わる遺構や遺物が出土。 | |||||
413 | 長竹遺跡I | 2014 | 堤防(利根川) | 加須市 | 旧縄文・古墳・古代・中近世 |
縄文~近世の複合遺跡で、本書では遺跡南半部分について扱う。環状盛土遺構周辺の縄文晩期集落と古墳時代以降の畠跡・集落などを報告。 | |||||
414 | 南台遺跡 | 2014 | 施設(庄和浄水場) | 春日部市 | 縄文 |
前期黒浜式期の住居跡1軒を検出。また、住居内貝層を詳細に検討した結果、少なくとも2箇年にわたる採取が推定される。 | |||||
415 | 西吉見条里遺跡 II | 2015 | 河川改修(市野川) | 吉見町 | 古墳・古代・中近世 |
古墳時代の溝跡の他、古代の水田跡や溝跡が検出され、条里制との関連性を検討する手がかりが得られた。 | |||||
416 | 清左衛門遺跡 | 2015 | 河川改修(隼人堀川) | 白岡市 | 縄文・中近世 |
縄文時代前期~晩期の集落遺跡。特に、4箇所検出された後・晩期の水場遺構は注目される。3号水場遺構からは、ほぼ完形の舟形木製品が出土。 | |||||
417 | 宮前遺跡 | 2015 | 都市計画道路(環状1号線) | 小川町 | 縄文・古代・中世 |
奈良時代の竪穴住居跡2軒を検出。住居跡からは、土師器(北武蔵型坏・暗文坏など)の他、南比企産・湖西産の須恵器が出土。 | |||||
418 | 浅間下遺跡 | 2016 | 堤防(江戸川) | 春日部市 | 縄文・平安・近世 |
縄文~近世の複合遺跡。縄文時代中期後半の住居跡が8軒、小竪穴状遺構が37基検出された。小竪穴状遺構には墓壙に転用されたものがあり、底面には土器が敷き詰められていた。 | |||||
419 | 槙野地原遺跡 | 2016 | 堤防(江戸川) | 幸手市 | 縄文・古墳・中近世 |
縄文時代、古墳時代、中近世の集落跡。縄文時代の土壙から地点貝塚が検出された。 | |||||
420 | 川崎遺跡 第41次 | 2016 | 街路整備(並木川崎線) | ふじみ野市 | 縄文・奈良・近世 |
縄文~近世にかけての複合集落で、今回の調査では縄文、奈良、近世の遺物や遺構が検出された。縄文時代早期の住居跡と、同時期の炉穴が至近距離から検出された例は県内でも少ない。 | |||||
421 | 諏訪野遺跡 II | 2016 | 国道(圏央道) | 桶川市 | 縄文・古墳・近世 |
縄文時代中期の住居跡は直径18mの環状集落を構成するものとみられる。住居跡の軒数が多く、密度も高い。また、個々の住居の遺存状況はきわめて良好である。 | |||||
422 | 屋敷裏遺跡 | 2016 | 堤防(利根川) | 羽生市 | 縄文・弥生・古墳・平安・中近世 |
縄文~古墳時代、平安時代の集落跡が発見された。古墳時代の住居跡からは、脚付長頸壺・短頸壺などが出土。平安時代の住居跡からは国内最古級の鉄製口琴が出土した。 | |||||
423 | 浦山城跡 | 2016 | 土砂採取 | 皆野町 | 中近世 |
戦国時代の山城である浦山城跡は、標高500~530mの尾根の頂部を削平して主郭を造り、郭を挟んだ東西両側に堀切が掘られている。今回の調査では堀切の東側から平場2箇所と炭焼窯跡2基が検出された。 | |||||
424 | 大平遺跡 | 2016 | 国道(上尾道路) | 桶川市 | 縄文・古墳・平安・中近世 |
天正18年頃、徳川家康に従って関東に入り、石戸領を知行した牧野氏の陣屋に関連する区画溝と、附属する寺院施設「見樹院」に関わる遺構が検出された。土壙墓からは牧野氏家紋の「三つ柏」紋をもつ漆製品が出土している。火葬遺構からは炭化穀物塊(おにぎり)が出土し、その内部から永楽通寳6枚が見つかった。 | |||||
425 | 北坂遺跡 II | 2016 | 国道(寄居PAスマートインターチェンジ) | 深谷市 | 旧石器・縄文・平安・中近世 |
松久丘陵上に立地する北坂遺跡(第2次調査)では、後期旧石器時代前半期の石器集中23箇所が検出され、ナイフ形石器、台形様石器、掻・削器等の石器群が出土した。頁岩と珪質頁岩は、石核に剥片が多数接合し、当該期の剥片剥離工程を解明するのに重要な資料を提供した。 | |||||
426 | 北坂遺跡 III | 2016 | 国道(寄居PAスマートインターチェンジ) | 深谷市 | 旧石器・縄文・中近世 |
北坂遺跡(第3次調査)では、旧石器時代の遺物が、上下2つの異なる層位から検出された。上層からは後期旧石器時代後半期の石器集中2箇所が検出され、ナイフ形石器、掻・削器等の石器群が出土した。下層からは後期旧石器時代前半期の石刃が単独で出土した。 | |||||
427 | 高木稲荷前/高木氷川 | 2016 | 土地区画整理(大宮西部) | さいたま市 | 縄文・古墳・近世 |
高木稲荷前遺跡では、縄文時代後期初頭の柄鏡形住居跡2軒、古墳時代後期終末の住居跡2軒が検出された。高木氷川遺跡は縄文時代中期後半を中心とした集落跡で、加曽利EIII式期の住居跡4軒、土壙3基が調査された。ヒスイ輝石岩製の磨製石斧が出土している。 | |||||
428 | 天神峯遺跡 | 2016 | 県道(飯能寄居線) | 日高市 | 縄文・平安・近世 |
縄文時代の住居跡3軒、集石土壙1基、炉穴3基、土壙14基、平安時代の住居跡4軒、焼土跡5基、近世の土壙60基、溝跡19条、炭焼窯跡1基が検出された。縄文時代の土壙から早期末(打越式期)の尖底羽状縄文土器が出土した。平安時代の住居跡から「賀厨」墨書灰釉陶器椀が出土した。 | |||||
429 | 楽中遺跡 | 2016 | 国道(上尾道路) | 桶川市 | 旧石器・縄文・古墳・中近世 |
縄文時代では、早期後葉の条痕文土器を伴う炉穴6基が検出されたほか、前期から後期の住居跡9軒が検出されている。古墳時代では、前期の住居跡が11軒検出され、南関東や東海地方の影響を受けた土器が出土した。後期の住居跡も1軒検出され、カマド内から31点の土玉が出土した。切石切組積横穴式石室を埋葬施設とする古墳跡(樋詰6号墳)からは、環付足金具を装着した大刀が出土した。 | |||||
430 | 前領家遺跡 | 2017 | 国道(上尾道路) | 桶川市 | 縄文・古墳・平安・中近世 |
縄文時代中期末葉~後期初頭(加曽利EIII~EIV式期)の住居跡8軒が検出された。柄鏡形住居跡が多く、炉体土器や埋甕を伴う。古墳時代では前期の住居跡1軒を検出した。平安時代では、9世紀後葉から10世紀前葉の住居跡15軒が検出された。住居跡からは鍛冶炉や関連遺物が出土し、鉄製品の出土も多い。 | |||||
431 | 中平遺跡 | 2017 | 国道(寄居PAスマートインターチェンジ) | 寄居町 | 旧石器・奈良・平安・近世 |
松久丘陵から分離した諏訪山の南面する斜面地に形成された奈良・平安時代の集落跡である。竪穴住居跡・掘立柱建物跡が建物の方向を揃えて配置された、計画性の高い集落と考えられる。平安時代の住居跡から鍛造・鋳造炉が発見され、坩堝・鋳型・鍛造剥片などが出土している。 | |||||
432 | 楽上/楽上 II/薬師堂/石神/石神 III | 2017 | 国道(上尾道路) | 上尾市/桶川市 | 縄文・古墳・奈良・平安・中近世 |
楽上遺跡・楽上II遺跡では古墳時代前期の住居跡が検出され、集落の西限が確認された。薬師堂遺跡では、大量の板碑片を出土する区画溝が検出され、『新編武蔵風土記稿』に伝わる「西光寺」との関連が窺われる。石神遺跡・石神III遺跡からは、奈良時代から平安時代の住居跡が検出され、「物」、「(物)部坏」と書かれた墨書土器が住居跡から出土した。 | |||||
434 | 中井遺跡 | 2017 | 国道(上尾道路) | 上尾市 | 縄文・古墳・奈良・中近世 |
中井遺跡は、縄文時代中期から後期(勝坂~加曽利E式期)の住居跡が78軒検出され、拠点的な環状集落であることが明らかになった。古墳時代では7世紀前葉の住居跡が2軒、奈良時代では8世紀中葉の住居跡が6軒検出された。 | |||||
434 | 槙野地北遺跡 | 2017 | 堤防(江戸川) | 幸手市 | 縄文・古墳・奈良・平安・中近世 |
縄文時代では、早期後葉の炉穴や前期諸磯式期の住居跡、黒浜式期の地点貝塚が確認された。古墳時代では、53軒の住居跡が検出された。前期の大型住居跡は一辺13mを超える県内最大級の規模を誇る。奈良・平安時代については新治窯・湖西窯など他地域の須恵器が出土し、国境地域における活発な交流が推定される。 | |||||
435 | 伊勢塚遺跡 | 2018 | 県道(花園本庄線) | 深谷市 | 古墳・平安・近世 |
古墳時代前期の方形周溝墓5基が検出された。このうち第2号方形周溝墓からは、東海地方の土器の影響を受けて在地でつくられた壺・S字状口縁台付甕などが出土した。奈良・平安時代では土壙から丸瓦が出土している。 | |||||
436 | 栗橋関所番士屋敷跡 | 2018 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
寛永元年(1624年)に設置された利根川の渡し場、房川渡しの関所、栗橋関所に勤番した番士(加藤家、足立家、島田家)の具体的な生活の様相が明らかにされた。屋敷跡に現在認められる盛土が、18世紀前半以降の洪水対策として徐々に高く造成され、建物が度々建て替えられていた様相が判明した。遺物には、加藤家屋敷跡の盛土中から古拳銃が出土した。 | |||||
437 | 西浦遺跡 III | 2018 | 国道(407号) | 東松山市 | 中世 |
中世の竪穴状遺構2基、溝跡4条、土壙29期、ピット211基が検出された。土壙の中には銭貨を副葬した墓跡と考えられるものがある。ピットからは礫や板状の石が検出されており、根石の可能性がある。遺物は13世紀代の手づくねかわらけのほか、青磁、白磁の小片がある。 | |||||
438 | 茂手木遺跡 | 2018 | 堤防(利根川) | 羽生市 | 古墳・平安・中近世 |
利根川沿いの自然堤防上に立地し、古墳時代の畠跡や平安時代の集落跡が検出された。平安時代には当初は畠として利用されていたが、9世紀中頃からは集落域に変遷したことが明らかになった。武蔵国内で生産された須恵器のほかに、隣接地域で生産された土器が多数出土している。京都産の緑釉陶器や底部に「寺」と墨書された墨書土器が出土した。 | |||||
439 | 米の宮遺跡 | 2018 | 堤防(利根川) | 羽生市 | 古墳・平安・中近世 |
古墳時代前期の住居跡1軒、平安時代の住居跡4軒、土壙1基が検出されたほか、中世では掘立柱建物跡9棟をはじめ、その周囲に柵列跡や井戸跡、溝跡、竪穴状遺構といった各種遺構が発見された。このうち第7号掘立柱建物跡は四面廂のつく桁行6間×梁行2間の大型建物である。 | |||||
440 | 長竹遺跡 II | 2018 | 堤防(利根川) | 加須市 | 縄文 |
縄文時代後・晩期に形成された環状盛土遺構の南側から検出された遺構・遺物についての報告である。盛土遺構の遺存状況は極めて良好であった。盛土の径は190mに及び、関東地方有数の規模である。第43号住居跡は一辺12mの「大形竪穴建物址」で床面が焼土で覆われていた。多くの祭祀遺物が出土している。 | |||||
441 | 長竹遺跡 III | 2018 | 堤防(利根川) | 加須市 | 縄文 |
環状盛土遺構の北側から検出された遺構・遺物についての報告である。縄文時代後・晩期に営まれた住居跡は盛土の最も標高が高く、狭い範囲に集中していた。盛土の内縁側で検出された晩期の土壙墓群は規格性のある配置が窺われる。 | |||||
442 | 小林八束1遺跡 II | 2018 | 河川改修(小林調節池) | 久喜市 | 縄文・古墳・中近世 |
縄文時代後期後半から晩期にかけて盛土が形成され、盛土内からは住居跡や土壙が検出された。谷を挟んだ盛土の北側では、晩期の祭祀遺物集中地点と土器集中地点が検出された。祭祀遺物集中地点では、土偶やミニチュア土器、石器などが出土した。ミミズク土偶は、大型中空に加え、中実小型のものも多い。隣接する土器集中地点とあわせ、祭祀のあり方を復元する上で貴重な調査事例といえる。 | |||||
443 | 赤砂利/宿赤砂利 | 2018 | 河川改修(隼人堀川) | 久喜市 | 縄文・奈良・中近世 |
赤砂利・宿赤砂利遺跡は、白岡市を横断する隼人堀川左岸に広がる遺跡である。縄文時代では、中期後葉(加曽利E式期)の住居跡36軒が発見された。また集落内に土壙のみが分布するエリアがあることから環状集落の可能性も考えられる。奈良時代では、8世紀後半の住居跡1軒が検出された。 | |||||
444 | 大木戸遺跡 III | 2018 | 土地区画整理(大宮西部) | さいたま市 | 縄文 |
大木戸遺跡第18・20次調査区は、台地上の縄文時代後期前葉から中葉にかけての集落下に広がる滝沼川によって形成された低湿地遺跡である。調査区からは同時期の多量な土器群及び木製品類が出土した。縄文時代後期堀之内2式から加曽利B2式期までにほぼ限定された土器群や各種の木器・木製品類、特に赤漆塗り漆器が多量に出土している。 | |||||
445 | 大木戸遺跡 IV | 2018 | 土地区画整理(大宮西部) | さいたま市 | 縄文・古墳・平安・近世 |
大木戸遺跡の第6・10~17・19・21次調査の報告である。縄文時代では早期の炉穴や中期末葉から後期初頭の住居跡などが調査されている。古墳時代では前期初頭を中心とする住居跡が検出された。近世では、各調査区から掘立柱建物跡や土壙、井戸跡、溝跡などの遺構や遺物が検出された。 | |||||
446 | 北島遺跡 XIV | 2018 | 施設(熊谷ラグビー場) | 熊谷市 | 古墳・平安・近世 |
北島遺跡は、利根川と荒川に挟まれた熊谷扇状地の扇端部に形成された自然堤防上に立地する。第25次調査では、古墳時代前期から平安時代の集落跡が検出された。古墳時代では、前期の住居跡から滑石性の管玉、臼玉がまとまって出土した。7世紀後半から8世紀初頭の遺物集中区からは大量の土器が出土した。古墳時代後期の畠跡も検出されている。 | |||||
447 | 毛長沼外瓦A遺跡 | 2018 | 住宅(分譲住宅) | 草加市 | 古墳・平安 |
中川低地の南部に位置し、入間川の旧河道である毛長川の左岸自然堤防上に立地する。古墳時代と平安時代の遺構・遺物が検出された。古墳時代は併行する2条の溝跡が検出され、中期を中心とした遺物が出土した。平安時代は埋まりきっていなかったた古墳時代の溝を掘り直した溝跡が検出され、9世紀後半を中心とした遺物が出土した。 | |||||
448 | 栗橋宿跡I | 2018 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
栗橋宿跡の調査は、第1地点から第9地点に分けて実施されている。本書は第1・3地点の調査成果で、吉田家水塚の石垣と盛土、栗橋宿の町屋部分を調査した。堤防強化事業に先立ち吉田家水塚は移築されており、移築後の水塚の石垣と盛土を調査し、土留めの構造が明らかになった。町屋部分では、町屋の区画を示す杭列や、火災の後片付けをしたと考えられる土壙などが検出された。 | |||||
449 | 東畑遺跡 | 2018 | 堤防(利根川) | 羽生市 | 中近世 |
中世の井戸跡からは割れた板碑の上に重ねられたかわらけや石臼・焼石、散乱した種実類が出土した。近世では、道路跡と屋敷の区画溝が検出されている。溝跡は天明3年(1783)に噴火した浅間山由来の火山灰を含む洪水砂によって埋没しており、洪水被害によって廃絶を余儀なくされたことがわかった。その一方で、洪水砂へ対処するための天地返しが行われた災害復旧痕も確認されている。 | |||||
450 | 旧利根川堤防跡 | 2019 | 堤防(利根川) | 加須市 | 中近世 |
15世紀~16世紀後半にかけて営まれた集落や墓域と、その後に築堤された堤防跡が検出された。中でも人骨を伴う100基を超える土壙墓群は注目される。井戸跡からは、廃棄された板碑や五輪塔、宝篋印塔がまとまって出土した。旧堤防跡は6世紀末に築堤され、拡幅を繰り返しながら、長期間機能したことが明らかになった。 | |||||
451 | 栗橋宿本陣跡I | 2019 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
日光道中の宿場「栗橋宿」の本陣跡を含む遺跡で、19世紀前半の遺構を中心とする第一面と、18世紀以前の遺構を中心とする第二面を調査した。本陣跡の南側に隣接する、町屋地区推定地における調査成果を収録する。第一面で町屋の敷地境と考えられる杭列、木樋、溝跡が検出されたが、第二面の調査では明確な敷地境は検出されなかった。19世紀前半のいずれかの段階で、敷地境の施設が整備されたことが判明した。 | |||||
452 | 栗橋宿跡 II | 2019 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
栗橋宿跡第2・4地点の調査では、宿場の店舗や住宅の跡、用水に使われた樋などが検出された。町屋部分では、町屋の区画を示す溝跡や木樋、火災後の跡片付けをしたと考えられる土壙などが検出されている。陶磁器や木製品、布、鍛冶関連の遺物が数多く出土した。 | |||||
453 | 北島遺跡 XV | 2019 | 施設(熊谷ラグビー場) | 熊谷市 | 古墳・平安・中近世 |
北島遺跡第26~28次調査では、古墳時代後期から平安時代を主体とする集落跡が検出された。高い微高地上には住居跡が激しく重複して造られ、その周囲には畠や溝跡が掘られ、僅かな高低差を巧みに利用した当時の土地利用が明らかになった。平安時代の墓跡には、円形の区画溝を周囲に巡らせた木棺墓と蔵骨器に収められた火葬墓、土壙墓の3種類の埋葬施設が見つかっている。幅6mの両側に側溝もつ道路跡も検出された。路面には波板状圧痕が残されていた。 | |||||
454 | 中通南遺跡 | 2019 | 橋りょう架換(青柳橋) | 行田市 |
古墳・中近世 |
戦国時代に石田三成が忍城水攻めのために築いた「石田堤」の一部が検出された。盛土中には古墳時代の土器や埴輪などの破片が含まれており、周辺の遺跡の覆土や古墳の墳丘が築堤の際に利用された状況を、具体的に示すことができた。 | |||||
455 | 樋ノ口遺跡 | 2019 | 堤防(利根川) | 加須市 | 縄文・平安・中近世 |
縄文時代の包含層から縄文時代晩期末の土器が出土した。平安時代では10世紀前半を中心とした住居跡と、土師器の焼成土壙が検出された。当期の土師器生産の様相を表すものとして注目される。 | |||||
456 | 栗橋宿跡 III | 2019 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
栗橋宿跡第6地点の調査では、町屋の裏に立ち並ぶ土蔵の跡と、敷地境を示す杭列・溝跡などが検出された。船材を転用した「木製桝形穴蔵」は県内初の調査例として注目される。遺物は国産陶磁器が多くを占めるが、ヨーロッパ産や中国産の陶磁器類も含まれていた。 | |||||
457 | 小林八束1遺跡 III | 2019 | 河川改修(小林調節池) | 久喜市 | 縄文・古墳・中近世 |
第3・4次調査の報告である。縄文時代では、後期を中心とする集落跡が検出され、谷に堆積した包含層から深鉢や注口土器、土製品などの多数の遺物が出土した。古墳時代では、前期の集落跡と、それらを壊して造られた方形周溝墓が検出された。谷に下る傾斜面からは同じ時期の木組遺構が検出され、鍬や鋤、竪杵、横槌などの木製品が出土した。 | |||||
458 | 栗橋宿跡 IV | 2019 | 堤防(利根川) | 加須市 | 近世 |
栗橋宿跡第7地点の調査では、町屋部分から土蔵と考えられる建物跡や多数の土壙が検出された。土壙の中には火災の後片付けに使われたものがあり、出土遺物のほとんどが被熱していた。また、信楽系陶器の葉茶壺や、「油屋幸七殿行」「茶四升」と書かれた木札が同じ土壙から出土しており、江戸期の絵図にある「茶屋」と「幸七」との関係が考えられる。 | |||||
459 | 稲荷台遺跡 IV | 2020 | 堤防(荒川) | 上尾市 | 縄文・古墳・近世 |
第4~8次調査の報告である。旧石器時代後期の石器集中と礫群が検出された。縄文時代では早期から中期の集落跡が検出され、谷に形成された遺物包含層からは、ほとんど類例のない晩期最終末の土偶が出土した。古墳時代では前期の住居跡と土壙墓が、近世では屋敷の区画溝と屋外炉である焼成遺構が検出された。 | |||||
460 | 栗橋宿本陣跡 II | 2020 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
遺跡北側の本陣敷地推定値における調査成果を収録する。本陣の敷地である調査区東側では建物跡の一部が検出された。西側は本陣の店子が使用した空間と考えられる。広域にわたり焼土層と火災処理に係る土壙が検出された。組物の陶磁器が複数出土した土壙があり、本陣で保管していた陶磁器が被熱し廃棄されたものと推定される。中国清朝磁器や色絵鍋島の皿も含まれており、本陣の備品を窺い知ることができる。 | |||||
461 | 長竹遺跡 IV | 2020 | 堤防(利根川) | 加須市 | 縄文 |
縄文時代後・晩期に形成された環状盛土遺構の南盛土内から出土した遺構に属さない遺物に関する報告である。遺物には日常生活で使われていた膨大な量の土器・石器・骨角器と、祭祀遺物である土偶・石棒、装飾品の耳飾りなどがある。また、加工痕のある土製品が大量に出土した。用途不明なため土製円盤として掲載したが、特徴的な遺物の一つといえる。 | |||||
462 | 長竹遺跡V | 2020 | 堤防(利根川) | 加須市 | 奈良・平安・中近世 |
環状盛土遺構の埋没後に形成された、奈良・平安時代と中・近世の遺構と遺物に関する報告である。平安時代では10世紀代を中心とした集落跡が検出された。過去の成果と合わせて、あまり調査例のなかった県北東部における平安時代中期のムラの様相が明らかとなった。 | |||||
463 | 栗橋宿跡V | 2020 | 堤防(利根川) | 加須市 |
近世 |
栗橋宿跡第5地点・本陣跡第5次調査では、日光道中の一部とみられる道路跡が検出された。道路跡は東西に走行し、南北を木樋で区切られていた。複数の硬化面や並列する木樋が検出されたため、道路は補修と整地が繰り返されていたと考えられる。遺物では、土壙から「天狐」とみられる木製神楽面が出土した。 | |||||
464 | 新井堀の内遺跡 | 2020 | 道路(蓮田杉戸線) | 蓮田市 | 縄文・中近世 |
中世では館を区画する堀跡や掘立柱建物跡・井戸跡・地下式坑などが検出された。埋蔵銭を埋めた遺構が4基検出され、そのうち1基から埋設された当時の状態で埋蔵銭が発見された。容器(常滑焼甕)には緑泥片岩製の石蓋が置かれ、口縁には木簡が掛かった状態で発見された。埋蔵銭の時期は15世紀代と考えられる。 | |||||
465 | 向原A/芦苅場 | 2020 | 土地造成 | 飯能市 | 縄文・中近世 |
芦苅場遺跡は縄文時代中期の環状集落で、中期中葉の住居跡80軒がいくつかのブロックに分かれて検出された。勝坂式期から加曽利EIII式期への移行期の住居跡が存在する点は注目される。また、屋外調理施設と考えられる集石土壙が88基検出され、土掘り具である打製石斧が大量に出土している。 | |||||
466 | 上宿遺跡 | 2021 | 国道(254号線) | 志木市 | 平安・中近世 |
中世では薬研堀をめぐらした空間に、井戸跡や土壙、多数の柱穴が検出された。出土遺物から16世紀後半には屋敷地の成立が想定される。溝跡や井戸跡には二次利用された板碑が廃棄されており、宗教的空間が存在していたことを示し、文献にみえる『宗岡宿』の様相を知ることができる。 | |||||
467 | 宮西I/宮東I | 2021 | 堤防(利根川) | 加須市 | 古墳・奈良・平安 |
宮西遺跡では、9世紀中葉から後半の短期間に営まれていた平安時代の集落が検出された。宮東遺跡では古墳時代中期(5世紀前半)から平安時代(10世紀前半)まで、断続的に集落が営まれていた。古代の確認面からは、地震で発生した液状化現象である噴砂の痕跡が多数検出された。 | |||||
468 | 北2丁目陣屋跡 | 2021 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
往昔の栗橋宿北端部に位置する。建物跡や杭列などが全く検出されなかったことから、町屋ではなく、牛頭天王社(現在の八坂神社)の境内地であった可能性が高い。流路跡から出土した納め太刀は、現在の大山阿夫利神社へ奉納されたもので、栗橋宿内で大山参詣が行われていたことを示す貴重な資料である。 | |||||
469 | 沢口遺跡 | 2021 | 主要地方道(深谷嵐山線) | 深谷市 | 縄文・中近世 |
縄文時代では中期末の加曽利EIII式期を主体とする遺物包含層や住居跡・土壙などが検出された。中世では前半期に造営された溝跡に囲まれた4棟の建物群と、井戸跡や土壙などから構成される屋敷跡の一部が検出された。 | |||||
470 | 油面遺跡 | 2021 | 工業団地(嵐山花見台) | 嵐山町 | 縄文・平安・中近世 |
縄文時代では、前期後葉の諸磯式期の住居跡が4軒検出された。平安時代では9世紀後半の住居跡と炭焼窯跡が検出され、住居跡からは土製・石製の紡錘車や袋状鉄斧が出土した。 | |||||
471 | 本田遺跡 | 2021 | 堤防(利根川) | 加須市 | 近世・近代 |
水塚盛土と蔵跡、水塚上に造られた建物跡などが検出された。建物跡は4間×2間半の身舎に東西と南に庇または下屋が取り付く。二階建ての可能性を持つ居住用施設である。蔵跡は幕末から明治時代初頭、建物跡は19世紀末頃建設されたと推定される。調査例の希少な水塚の実態を知る貴重な資料を得ることができた。 | |||||
472 | 古里古墳群清水支群 | 2021 | 施設(嵐山郷宿舎) | 嵐山町 | 古墳 |
古里古墳群清水支群は、嵐山郷敷地内に4基の古墳が確認されている。今回の調査では古墳時代後期の溝跡や土壙などが検出された。第1号溝跡は14mにわたって直線的に延びる溝跡で、土師器甕が投棄されたような状態で出土した。 | |||||
473 | 栗橋宿跡 VI | 2022 | 堤防(利根川) | 加須市 | 近世 |
第8地点の調査では、第一面(19世紀後半以降)から、町屋の裏に建つ土蔵跡と、杭列などの敷地境の施設が検出された。第三面(18世紀前半以前)では、多量に出土した羽口や鉄滓、検出された小鍛冶遺構から鍛冶屋の存在が示唆された。18世紀前葉以前の遺構群から出土した遺物は、栗橋宿跡の空白期間を埋める貴重な資料となった。 | |||||
474 | 栗橋宿跡 VII | 2022 | 堤防(利根川) | 加須市 | 近世 |
第9地点第一面(19世紀前葉以降)の報告である。町屋の裏に立ち並ぶ土蔵跡と、並行する敷地境の溝跡が検出された。この区画は絵図と対照すると「旅籠屋七兵衛」の区画であり、建物跡もこれに関連する施設と考えられる。土壙から火災処理に伴う被熱した陶磁器が出土した。とくに、「十錦手」といわれる清朝磁器がまとまって出土した事例は地方の近世遺跡では稀有な例である。 | |||||
475 | 宮西 II/宮東 II | 2022 | 堤防(利根川) | 加須市 | 中近世 |
両遺跡からは井戸跡が多量に検出された点が注目される。宮西遺跡では井戸跡は近接し一部で重複しており、限られた範囲に掘削を繰り返した様子がうかがえる。一部の井戸跡からは、埋戻しの際に投棄したとみられる板碑や石臼が出土した。 | |||||
476 | 小林八束1遺跡 IV | 2022 | 河川改修(小林調節池) | 久喜市 | 縄文・古墳・奈良・平安・中近世 |
第5~7次調査の報告である。縄文時代では、台地側で後期前葉の集落跡が検出され、東の谷には後期前葉から晩期中葉頃の木組施設など、水場を維持するための多様な痕跡を確認した。古墳時代では、前期の集落跡と方形周溝墓群が検出され、重複関係から居住地から墓域へと変遷したことが確認された。また、台地の縁辺で古代の炭焼窯跡4基を検出した。 | |||||
477 | 北大竹遺跡 | 2022 | 工業団地(行田富士見) | 行田市 | 古墳・奈良・平安 |
6世紀中頃から7世紀にかけて、祭祀関連とみられる遺物が集中した地点が3箇所確認された。主に甕を中心とした須恵器と、大量の土師器や鉄製品とともに、多数の子持勾玉を用いる点が大きな特徴である。馬具や単鳳環頭大刀が出土している点も注目される。周辺に展開する若小玉古墳群との関連性が想定される。 | |||||
478 | 越谷警察署前遺跡 | 2022 | 施設(越谷警察署仮設庁舎) | 越谷市 | 平安・近世 |
近世では井戸跡2基、土壙11基、畝状遺構12条などが検出された。出土遺物は17世紀後半~18世紀頃が主体となる。井戸・土壙と畑を取り込んだ屋敷地の一部であった可能性がある。 | |||||
479 | 栗橋宿西本陣跡I | 2023 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
日光道中7番目の宿場「栗橋宿」の町屋跡。調査区北側の調査成果を収録した。19世紀前葉以降を中心とする第一面、18世紀中~後葉を中心とする第二、第三面に分けられる。検出された土壙には、火災に関わる廃棄物を処理したものがみられた。この火災は史料にみえる文政五年(1822)の栗橋宿大火と推定され、栗橋宿の変遷を考えるうえでの定点資料と位置付けられる。遺物は、少量の中国産磁器のほか、国産陶磁器が多量に出土し、組物も多く検出された。近世における地方宿場町の実態を示す良好な資料である。 |
集 | 書名 | 発行年 | 調査原因 | 市町村 | 主な時代 |
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480 | 北2丁目陣屋跡Ⅱ | 2024 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
往昔の栗橋宿北端部に位置する。陣屋の名を冠するが、神社に関連する遺構や遺物が確認され、八坂神社境内の主要部であることが明らかになった。19世紀中葉以降の第一面からは社殿基礎を検出し、大掛かりで堅固な基礎地業が行われていることがわかった。一方で、18世紀後葉~19世紀初頭の第二面からは、神社に関連する遺構は検出できなかった。よって、当該地に存在した境内は19世紀初頭以降から整備され、それ以前には別の場所にあった可能性が高い。 | |||||
481 | 栗橋宿西本陣跡Ⅱ | 2024 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
日光道中7番目の宿場「栗橋宿」の町屋跡。調査区南側の成果を収録した。主に18世紀中~後葉に比定される第三面では、整地層の直下に堆積していた砂層下の造成土より、18世紀前葉を下限とする遺物が出土した。砂層は、寛保二(1742)年もしくは宝暦二(1752)年の洪水に由来する可能性がある。遺物は、少量の中国産磁器、多量の国産陶磁器、組物のほか、土器類では在地の製品が多く認められ、多種多様な一括遺物は、近世における地方宿場町の実態を示す良好な資料である。 | |||||
482 | 栗橋宿跡Ⅷ | 2024 | 堤防(利根川) | 久喜市 | 近世 |
主に、18世紀後葉から19世紀前葉に比定される第二面についての報告である。検出遺構は土壙が主体であり、その多くは廃棄土壙であった。この内、方形、もしくは長方形の平面形態を呈する土壙の多くが、災害時の片付け土壙であったと考えられ、街道に対して、平行、もしくは直交する軸線をもって掘られていた。また、第414号土壙は、街道側から土手側に向けて、破損した家屋の部材や生活材を巻き込んで土砂が流入した、水害の痕跡であると推察された。 | |||||
483 | 長竹遺跡Ⅵ | 2024 | 堤防(利根川) | 加須市 | 縄文 |
縄文時代後晩期に形成された環状盛土遺構の北側盛土上に位置する遺構や、そこから出土した遺物を対象とした報告である。本報告をもって長竹遺跡に関する報告は完了した。 北盛土で発見した住居跡は、盛土の最も高い位置に集中していた。また、晩期に比定される墓壙は規格性が高く、盛土の内縁斜面に整然と構築されていた。 |