北2丁目陣屋跡は、JR宇都宮線栗橋駅から東に約1km、栗橋宿跡の北側に所在し、今回調査の対象は八坂神社境内の南西部にあたります。
八坂神社は江戸時代の初めには、栗橋南東に流れる権現堂川の左岸、現在の元栗橋にありました。しかし、元栗橋宿は慶長年間(1596~1615)の大洪水の際に被災したため、現在の久喜市栗橋の地に54戸が移住しました。これに伴い八坂神社も現在の場所に遷座したと考えられています。
これまで栗橋宿跡の調査では、近世の宿場に関連する建物の遺構や部材、生活用品といった遺物が出土しました。
今後の調査で神社と宿跡の関係などが明らかになるものと期待されます。
【以下、令和2年1月更新】 ————————————————————————————————————
発掘調査は12月末で終了しました。
第二面の流路跡の埋まり土を取り除き、遺物の取り上げ作業を進めているところです。
高所作業車を使い東に向かって撮影した写真です。調査区の中央に1条の流路跡があることがわかります。
【以下、令和元年11月更新】 ————————————————————————————————————
第一面の調査が終わり、12月の終了に向けて第二面の調査を行っています。
出土した木製品の中には下駄も見つかっています。この下駄は歯の一部が欠けてしまっていますが、刳(く)りものの下駄であることが分かります。
【以下、令和元年9月更新】 ————————————————————————————————————
第一面の検出作業が終わり、高所作業車を利用して調査区の写真を撮影しました。
高所作業車のゴンドラに乗り込み、地上12mの高所から撮影しました。撮影は南から北へ、西から東に向けての2回にわけておこないました。
写真は西から東に向けて撮影したものです。第一面では西本陣跡に近い調査区の南側(写真の右側)に遺物が集中しているのがわかります。
自然の傾斜に沿って木製品や陶磁器などが、折り重なって出土しています。
【以下、令和元年7月更新】 ————————————————————————————————————
現在は第一面(幕末~近代初頭)の調査を行っています。
第一面から見つかった陶磁器や木製品です。茶碗や甕(かめ)のかけら、ひょうそく(灯明の道具)、瓦、板材や樽の底板などが出土しています。
【以下、令和元年5月更新】 ————————————————————————————————————