【平成30年3月更新しました】
栗橋宿西本陣跡は、JR宇都宮線栗橋駅から東に約1kmに位置しています。栗橋宿跡では、異なる時代の遺跡が同じ場所に重なっています。地層ごとに、新しい時代から順に発掘調査を行っています。昨年度に引き続き、第二面の調査を行っています。遺跡の範囲には、かつて「脇本陣(わきほんじん)」と、町屋(まちや)が立ち並んでいたと推定されています。
これまでに、街道に面して土地を区画した地境(じざかい)や、建物跡、埋められた桶、壊れた食器や木製品などを埋めた穴が見つかっています。
井戸の裏込めから火打ち金が出土しました。火と水という不思議な組み合わせです。おまじないに使われたのでしょうか。
江戸時代に埋め立てられた池跡の調査を行っています。大量の木製品や陶磁器が出土しています。
池跡から櫛がまとまって出土しました。この櫛は、歯の粗い部分と細かい部分にわかれたものです。丁髷(ちょんまげ)を結う専用の櫛で、長野県木曽地方で作られたものと考えられます。
【以下、平成29年7月更新】 ————————————————————————————————————
引き続き第二面の調査をしており、建物跡と多数の土壙が見つかっています。
建物の基礎工事の跡です。四方に巡る溝に、丸太が等間隔に並べられています。丸太によって、土蔵や瓦屋根の建物を支えていました。
出土した木太刀(きだち)の両面には、墨で文字が書かれていました。「奉納不動明王御宝前」「栗橋宿」などが読むことができます。
実測の作業です。発掘された遺物がどのように出土したのか、図面に記録していきます。
【以下、平成29年9月更新】 ————————————————————————————————————
第二面の調査は終盤に差し掛かり、全体の様子が明らかになってきました。
旅人が宿泊・食事をした旅籠屋(はたごや)と推定される場所から、漆器や膳などの木製品がたくさん出土しました。漆器は椀・鉢・皿などがあり、様々な紋様で装飾されています。
発掘には多くの人が作業に関わっています。いろいろな作業を分担し、調査を進めています。
【以下、平成29年12月更新】 ————————————————————————————————————
第二面の調査は9月に終わりました。10月からその下にある第三面の調査を始めました。
第三面南側の調査を始めました。写真の白線は見つかった建物跡や土壙(どこう)を示しています。建物跡では頑丈な建物を支えた基礎工事の跡が見つかっています。
【以下、平成30年1月更新】 ————————————————————————————————————
引き続き第三面の調査を行っています。
また南側の調査区では第一面の調査が終わり、第二面の調査を始めました。
土壙から出土した木製品には「大坂」の焼印が押されていました。遠く大坂(阪)からも品物が運ばれてきたことがわかります。
遺跡の記録は、飛行機を使った写真撮影も行っています。写真上が日光方面です。道が日光に向かって延びていることが分かります。
【以下、平成30年3月更新】 ————————————————————————————————————
雁首(がんくび)から吸口(すいくち)まで、すべてが金属でできている延煙管(のべきせる)です。栗橋宿跡では、たくさんの煙管が出土しましたが、延煙管は初めて見つかりました。全国的にも珍しいものです。
この穴の中には、焼けた建築部材・桶・下駄等の木製品や陶磁器がたくさん埋められていました。火災後に片づけられたものだと考えられます。
調査区南端部分の第二面の調査が終了しました。建物跡や地中に埋めた桶などが発見されました。