縄文時代中期末から後期にかけて柄鏡(手鏡)形をした竪穴住居が流行し、まれに床に石を敷いた住居が造られます。
県内での敷石住居跡発見例は10棟ほどで、いずれも石材豊富な荒川や入間川の上中流域に集中しており、河原がないこのような場所で発見されるのは初めてです。 しかも、長瀞町や小川町に産する、結晶片岩の中でも珍しい「紅簾片岩(こうれんへんがん)」が好んで使われています。
全部で数百キロもある石を、どこから、どのように運んできたのでしょうか。
また、牛原遺跡では、縄文時代中期前半の竪穴住居跡も発見されています。
上の住居の写真はその典型的なもので、直径5mほどの竪穴を掘り、4本の柱を立てて屋根を支えます。中央の火を焚いた炉には土器の縁取りがされ、 入口には長い石が横たえられています。また、壁ぎわの穴は入口の施設と考えられます。
これに対し、下の住居は長径3mにも満たない狭い竪穴にもかかわらず、上の住居と同様の施設があります。蛇(?)の模様の付いた土器片を 入口に向けて置いてあることから、儀式などの特別の場合に使われたものかもしれません。
縄文中期前半の住居跡
土器片を組み合わせた炉(いろり)
小型の住居跡
手前が蛇(?)の模様を貼り付けた土器片
※牛原遺跡では、7月3日から約1ヶ月間「フリー参観」スタイルの見学会を実施し、196名の見学者がありました。