【平成27年3月更新しました】
旧利根川堤防跡は埼玉県北東部の加須市にあり、利根川の右岸に形成された自然堤防上に立地しています。発見された旧堤防跡は、江戸時代から近代にかけて使われていたもので、現在の堤防はその上に盛土されています。
調査は利根川堤防強化対策工事に伴って行っています。調査によって旧堤防跡は二度にわたって改修されたことがわかってきました。
※7月19日に遺跡見学会を開催しました。
旧堤防の盛土 堤防の傾斜に合わせきれいに土が積まれている様子がわかります
旧堤防の中心部 旧堤防の中心部分(芯)には川砂が使われていました
発掘調査の様子 旧堤防の上部は削平されていましたが、盛土は高さ2m以上残っていました
【以下、平成26年10月更新】 ————————————————————————————————————
旧利根川堤防跡の調査は9月30日をもって一旦終了し、平成27年1月から旧堤防跡の下層の調査を行う予定です。
今回の調査で、旧利根川堤防跡は中世の墓域の上に築かれていたことが判明しました。この堤防は昭和の前半頃まで機能していたとみられます。
調査区内の旧堤防跡は調査区西側で、北側(現在の堤防に向かって)に曲がっていることが判明し、これは明治時代に陸軍が作成した地図(迅速図)と一致する結果となりました。
川裏の法面に沿って杭列が設置されていました。近代以降の堤防工事と考えられます。
【以下、平成27年3月更新】 ————————————————————————————————————
平成27年1月から旧堤防跡の下に広がる中世面の調査を再開しました。その結果、人骨を伴う土壙が10基以上確認されました。また、中世の遺構を破壊して流れていた河川が確認され、この土地に堤防が築かれる以前に、河川の氾濫を受けていたことが判明しました。
板石塔婆出土状況
旧堤防跡の盛土から板石塔婆が重なって出土しました。元享四(1324)年八月四日の紀年名を持つ板碑も含まれていました。近代以降の堤防工事の際に板石塔婆をまとめて埋めたと考えられます。
旧河川跡遺物出土状況
川底から「かわらけ」や板石塔婆の破片、人骨片などが出土しました。川の浸食でお墓が破壊され、流れに落ちたもののようです。
旧河川跡完掘状況
川は西から北方向へ蛇行しながら流れていました。
人骨調査状況
土壙から出土した人骨の調査風景です。頭骨は右側頭部が欠け、中に土が入っていました。