【平成27年3月更新しました】
長竹遺跡は、利根川の堤防強化対策工事に伴って、平成22年から継続して発掘調査を行っています。
現在は昨年度に引き続き、奈良・平安時代のムラの跡を調査しています。住居跡や掘立柱建物跡など生活の跡が確認できました。
※12月13日(土)に遺跡見学会を開催しました
掘立柱建物跡
建物の南側に庇(ひさし)がつく建物跡が見つかりました。規模は3間×2間片庇付きで桁行(けたゆき)約5m、梁行(はりゆき)約4mの構造です。
竪穴住居跡
住居跡は残存長さ4.4m、幅3.3mの大きさです。北西側に大きなカマドがつくられていました。カマドの左脇からは2個体の土師器甕が出土しました。このカマドで煮炊きに使っていたものでしょう。甕の形態などの特徴から9世紀の住居跡であることがわかります。
カマドの支脚(しきゃく)
上の写真とは別の住居跡のカマドの内部です。坏を4枚重ねて、カマドにかけた甕の底を支えたものです。支脚の代用品と考えられます。
【以下、平成26年10月更新】 ————————————————————————————————————
縄文時代後・晩期遺構検出状況
6月から縄文時代後・晩期の調査を開始しました。環状盛土遺構は、昨年度の南側盛土に続いて北側の盛土を調査しています。盛土の一番高い部分からは当時の住居跡が、また斜面からは土壙が発見されました。
深鉢形土器と台付浅鉢形土器の出土状況
盛土からはたくさんの土器、石器などが発見されました。写真のように、ほぼ完全な形になる土器がいくつもまとまって発見されました。
埋甕(うめがめ)
盛土には当時暮らしていた人びとの痕跡がたくさんあります。例えば、完全な形の深鉢形土器を埋めたものがそのままの状態で発見されることもあります。このような土器は、幼い子供の亡骸(なきがら)を収めた容器の可能性があります。
【以下、平成27年1月更新】 ————————————————————————————————————
調査区全景
縄文時代後期・晩期の環状盛土遺構を調査中です。竪穴住居跡が何軒も重なって発見されています。
縄文時代晩期の住居跡
7m四方の大きな住居跡です。入り口付近からは石棒と石皿が出土し、祭祀的な性格が推定されます。
窪地の調査風景
環状盛土の内側にあたる窪地からは、大量の土器片が出土しました。生活で使われなくなったり壊れたりした土器が廃棄されたのでしょう。
土壙出土の小型浅鉢と壺
墓跡と考えられる方形の土壙から、小型の浅鉢と壺が出土しました。死者に供えられたものでしょう。
【以下、平成27年3月更新】 ————————————————————————————————————
環状盛土遺構(西側)
縄文時代後・晩期の環状盛土遺構を調査しました。環状盛土遺構の中心部分からは、約30軒の竪穴住居跡が重なり合った状態で発見されました。
環状盛土遺構(東側)
環状盛土遺構の内側の斜面部からは、約300基の土壙が発見されました。
注口土器
縄文時代後期の竪穴住居跡からは、関西方面の影響を受けた注口土器(注ぎ口が付いた土器)が、ほぼ完全な形の出土しました。