【平成27年3月更新しました】
栗橋宿本陣跡は、栗橋宿の本陣であった池田家を含む範囲です。池田家は栗橋宿が開かれた当初から江戸時代を通じて本陣を勤めました。江戸時代後期には街道に面した部分を店子(たなこ)に貸していたようで、それらに関連する遺構が検出されています。
栗橋宿本陣跡南側からの全景です。手前側は溝や杭列によって短冊状に仕切られた町家の区画がよくわかります。
本陣跡北側からの全景です。右端の道路は旧日光街道で画面中央左側の四角い大きな空間は、本陣跡の敷地です。
町家の敷地で見つかった建物の基礎です。溝を掘り、その中に丸太を敷き詰め、粉砕した瓦や砂利を混ぜて土を固めていました。蔵や瓦屋根等の重い建物が建っていたと考えられます。
土壙から出土した箱枕です。筒型の枕の下に箱型の台が付きます。台がひっくり返った状態で出土し、枕の部分は失われていました。赤い漆が塗られていることから、女性用でしょうか?
【以下、平成26年10月更新】————————————————————————————————————
栗橋宿本陣跡南からの全景です。ゴミを埋めた穴や井戸跡が見つかっています。
第1025号土壙
本陣の敷地で見つかった穴から、かわらけと呼ばれる素焼きの皿が大量に出土しました。本陣で使用されたのち、捨てられたものと考えられます。
第1032号土壙
第1025号土壙の近くで見つかった穴から、陶磁器やかわらけ、焙烙(ほうろく)と呼ばれる浅い鍋が大量に出土しました。
【以下、平成27年1月更新】————————————————————————————————————
現在は江戸時代後期(1800年前後)の遺構を調査しています。
※1月17日(土)に遺跡見学会を開催しました
本陣の敷地で見つかった穴からは、18世紀後半頃の陶磁器や漆椀が多量に出土しました。本陣で使用されたのち、捨てられたものと考えられます。
本陣の池田家が店子に貸していた敷地から見つかったごみ穴です。割れて使えなくなった陶磁器とともに、下駄や漆椀、木材などが一緒に捨てられていました。18世紀後半頃のものと考えられます。
陶磁器類はすべて割れていて、重なるように発見されました。使えなくなったものが捨てられていたことがよくわかります。
【以下、平成27年3月更新】————————————————————————————————————
本陣跡は、本陣役を勤めた旧池田家の敷地と、店子(たなこ)の敷地が含まれています。当時のゴミ穴や井戸跡が発見されました。
本陣が店子に貸していた敷地の井戸跡から、水を汲み上げる際に使う「釣瓶(つるべ))」が見つかりました。釣瓶は、桶に長い竹竿をくくり付けたもので、たぐりよせて水を汲む竿釣瓶(さおつるべ))と考えられます。