【平成27年7月更新しました】
浦山城跡は秩父鉄道皆野駅の北西約6km、「カタクリの里公園」から東にのびる尾根上に立地します。標高は約520~530mです。
発掘調査は採石工事に伴うもので、5月1日から調査を開始しました。現況図を作成した上、現在は郭(くるわ)と想定される平場を中心に遺構の確認作業を行っています。
浦山城跡の遠景です。山の頂上、木のないところが調査区です。
バックホウを使って部分的に深く掘り、土層の様子を観察する調査を行っています。
確認した土層をもとに、平場の掘削作業をしています。
【以下、平成27年7月更新】 -----------------------------------
調査は6月で終了しました。
今回の調査では平安時代の須恵器と炭焼窯跡、戦国時代のかわらけと平場、江戸時代の陶磁器と古銭などが発見されました。平安時代には炭焼き、戦国時代には山城として利用され、江戸時代には浦山が信仰の場であったことが明らかとなりました。
平安時代の炭焼窯跡です。平面形は長方形状で、規模は長さ10m、幅1.5mです。炭焼窯の底には炭化物と焼土が広い範囲で検出されました。平安時代の須恵器が出土しました。
平安時代に炭焼窯が営まれた平場(写真中央部)は、かわらけの出土によって、城の一部として利用されたことが明らかとなりました。
戦国時代(16世紀後半)のかわらけです。浦山城は、甲斐の武田氏が北武蔵へ侵攻した際、後北条氏が秩父地域の防備のために築城したとされています。
江戸時代(17世紀末から18世紀初頭)の肥前系の皿もしくは碗です。浦山の頂部には、江戸時代の石碑や石燈籠などもみられます。