【平成28年3月更新しました】
栗橋宿西本陣跡は、JR宇都宮線栗橋駅から東に約1㎞に位置しています。栗橋宿はかつての日光道中(街道)の宿場で、江戸から7番目にあたります。7月まで調査していた栗橋宿本陣跡から見ると、日光道中を挟んだ向かい側(西側)になります。遺跡の範囲には、かつて「脇本陣」と町屋が立ち並んでいたと推定されています。
現在は表土掘削中で、近世(江戸時代)終わりごろの遺構が検出されています。
重機を使って表土を掘削しています。
現地表の約1m下から近世終わりごろの生活面が検出されています。
【以下、平成27年12月更新】 -----------------------------------
現在、近世末(幕末)頃の遺構面を調査しています。これまでに建物跡、埋桶、廃棄土壙などが検出されました。
建物の基礎の部分です。細長い溝を掘り、砂と粘土を交互に入れた堅固な基礎構造です。利根川流域の軟弱な地盤に建物を建てる工夫が施されています。
地面に穴を掘り、桶を埋設しています。トイレという説もありますが、用途については不明です。
【以下、平成28年1月更新】 -----------------------------------
引き続き、近世末(幕末)頃の遺構面を調査しています。建物跡や、埋桶(うめおけ)、廃棄土壙などがいくつも検出されました。
建物の基礎部分です。細長い溝を掘り、組んだ木の上に破砕した瓦を敷き詰め、さらに砂と粘土を交互に入れ、より堅固な基礎構造としています。利根川の近くの軟弱地盤に建物を建てるには、様々な工法がみられました。
調査区を北側から見た全景です。画面左側に見える道路は旧日光道中(日光街道)です。
【以下、平成28年3月更新】 -----------------------------------
引き続き、近世末(幕末)頃の遺構面を調査しています。建物跡、埋桶(うめおけ)、廃棄土壙などが検出されています。建物跡は軟弱地盤に基礎を築くため、様々に工夫されています。発掘調査は平成28年度に継続します。
写真の白線部分が建物跡です。柱が立つ部分には、数本束ねた丸太杭が地中深く打ち込まれています。杭は建物全体が沈まないよう、堅い地盤まで打ち込まれていると考えられます。
写真の白線部分が建物跡です。柱が立つ部分には、数本束ねた丸太杭が地中深く打ち込まれ、更にその上に平たい石や木材を置いています。杭にかかる重さを分散させ、建物全体を沈ませない工夫のひとつです。