【平成29年3月更新しました】
栗橋宿西本陣跡は、JR宇都宮線栗橋駅から東に約1㎞に位置しています。昨年度から引き続き、第1次調査区の北側の調査を行っています。遺跡の範囲には、かつて「脇本陣(わきほんじん)」と町屋(まちや)が立ち並んでいたと推定されています。
現在は、近世末頃の遺構確認を行っています。これまでに街道に面した建物跡、埋桶、廃棄土壙などが見つかっています。
ジョレンで地面を削り、遺構の有無や、形の確認を行っています。
【以下、平成28年7月更新】 ————————————————————————————————————
現在は、近世末頃の池状の遺構や柱の列などを中心に調査を進めています。建物の西側には沼が広がっており、使わなくなった桶などの木製品が捨てられていました。
当初は建物跡と考えていましたが、調査が進むにしたがい、二重の土止めを巡らせた池状の遺構とわかりました。
【以下、平成28年9月更新】 ————————————————————————————————————
近世の建物跡の調査や、地境(じざかい)と考えられる杭列などの調査を進めています。
この建物跡は、掘った溝の底に短い丸太材を横方向に敷きその上に長い木材を渡して基礎としています。
建物跡の基礎を調査しています。この建物跡は、砂と粘土を交互に敷き固めて、非常に堅い基礎を作っています。
【以下、平成28年11月更新】 ————————————————————————————————————
火災後の整地層と、洪水層が交互に堆積していたことが確認できました。
建物基礎の全体像が見えてきました。細い丸太の上に砂を敷き、大きな丸太を固定している様子がわかります。
今年4月から調査している第2次調査区の道路をはさんだ東側に位置しています。
発掘前の風景です。道路から手前が調査区になります。
上下水道が通っていた部分の壁を精査したところ、道路を作るために整地した痕跡が見つかりました。時期は近代(明治以降)と考えられます。
【以下、平成29年2月更新】 ————————————————————————————————————
左側は水を流す木製の桶です。右側に建物の基礎が見つかりました。
【以下、平成29年3月更新】 ————————————————————————————————————
日光道中の道路跡の調査終了風景です。断面に道路跡が確認できました。
道路跡の下からは、土壙が見つかりました。