上宿遺跡は、東武東上線志木駅から北に約3.6km地点にあたる志木市上宗岡に所在する遺跡です。東側に荒川、西側に新河岸川と柳瀬川が流れる標高5メートル前後の沖積低地に立地しています。国道254号バイパスの建設に伴って発掘調査に着手しました。
【令和元年9月更新】 ————————————————————————————————————
上宿遺跡第1地点では、平安時代、室町から戦国時代、江戸時代にかけての遺構が確認されました。なかでも並行して走る二条の薬研堀状の溝の内側からは、柱穴・ピットや井戸跡が数多く発見されました。近隣には鎌倉街道の支道「羽根倉道」が通っていた伝承が残されており、これらは交通の要衝付近に築かれた武士の館跡と考えられます。館の様子が捉えられたことは、宗岡地域の歴史を考える上での大きな成果だといえます。
平安時代(9世紀中頃)の墨書土器です。「市」と書かれていると思われます。溝跡から出土しました。
遺構から板碑(いたぴ)や擂鉢(すりばち)などが出土しています。種字(しゅじ)は「キリーク(正)三尊」で、「永□」と年号があります。また、一緒に台石と思われる石と瀬戸美濃製の擂鉢が出土しています。板碑と擂鉢の年代が異なることから、板碑は造立後しばらくしてから廃棄されたとみられます。
【令和元年7月更新】 ————————————————————————————————————
中世後半頃の堀跡が2条並んで検出されました。薬研堀(やげんぼり)と呼ばれる底面が狭い堀跡です。中に入ると脱出するのが難しい防御(ぼうぎょ)に適した形をしています。
また、堀跡の北側の地形はやや高くなり、建物跡を構成していたと思われる多数の柱穴(ピット)が見つかりました。
【令和元年5月更新】 ————————————————————————————————————
「令和」の始まりと共に、5月から発掘調査を開始しました。どのような遺跡が姿を現すのでしょうか。