【平成31年1月更新しました】
小林八束1遺跡は久喜市役所菖蒲総合支所の南に位置し、小林調節池の工事に伴う発掘調査を実施しています。現在、周囲には水田が広がっていますが、水田の下には、埋没したローム台地があり、遺跡は、その上に形成されました。これまでに6回の調査が行われ、縄文時代や古墳時代の集落が見つかっています。
今年度は、昨年度の調査で見つかった古墳時代前期(約1,700年前)の集落と、縄文時代後~晩期(今から約3,500~3000年前)の低地の調査を中心に進めています。
調査区東側の台地上には、古墳時代前期の集落が広がっています。四角く見えるのは竪穴住居跡のあとです。
縄文時代の低地に堆積した遺物包含層を調査しています。厚さは平均30~40㎝の地層の中に土器や、木片・木屑等が含まれていました。
遺物包含層からは、縄文時代後期を中心とする土器片のほか、クリ・クルミ・トチなども見つかっています。写真は細かく割れた破片が集まった土層を、慎重に調査している様子です。
【以下、平成30年7月更新】 ————————————————————————————————————
谷(写真中央の白い土が露出している部分)とこの東西両側の斜面に堆積した縄文時代後期の遺物包含層の調査をしています。
谷の西側の斜面には、縄文時代後期前葉(堀之内式)から後期末葉(安行式)までの土器がたくさん見つかりました。
谷には、大量の縄文土器の破片のほか、通常では腐って残らない大型の木材や木の実なども残されています。木材には加工したものや地面に打ち込まれた杭も見つかっています。
【以下、平成30年10月更新】 ————————————————————————————————————
東西に広がる谷の斜面には縄文時代後期にあたる遺物包含層(いぶつほうがんそう)が発見され、その調査が終了しました。
発掘では住居跡の埋まり方などを確認するため、十字に土を残しながら調査を進めています。
谷の堆積土を掘り進めると、谷の流れの中心が見えてきました。谷底近くには、縄文時代の遺物や自然木が発見されました。
地山(じやま)(白色の粘土層)を掘り込んで造られた、杭と横板を組み合わせた遺構です。
【以下、平成30年12月更新】 ————————————————————————————————————
台地部で古代の炭焼窯(すみやきがま)が見つかりました。炭を焼く炭化室(たんかしつ)、煙を出すための煙道部(えんどうぶ)、作業場である前庭部(ぜんていぶ)という構造は、大宮台地東部(伊奈町や上尾市)に分布するタイプとよく似ています。
谷の中から、縄文時代後期の木組遺構や多数の木材が検出されました。大型の木材には杭で固定されたものもあり、木道(もくどう)のような足場として利用していたのかもしれません。
第2号木組遺構は、長方形の掘り込みの内部に、木組と板敷のほか、杭や導水のための溝を設けた遺構です。これから木組内部の調査を進めていきます。
第3号木組遺構は谷の流れの中心に位置し、平面形は下流側が広がる台形状です。規模は、上流側で幅1.9m、下流側で幅3.4m、奥行きは1.9mです。横材には長さ3m、直径30㎝以上のものもあります。30本以上も打ち込まれた杭には、丸太材のほか分割材も見られます。
【以下、平成31年1月更新】 ————————————————————————————————————
今年度の調査では、台地の部分から古墳時代前期の住居跡10軒と、縄文時代後期の住居跡2軒が発見されました。また、古代の炭焼窯跡が4基見つかりました。古代になると遺跡内では、製鉄等の燃料に使用する木炭が生産されていたと考えられます。
第4号木組遺構は、杭の上に直径10㎝程度の棒状の材が敷き並べられていました。長さ5m×幅1m程度の長方形の範囲に、180本もの杭が打ち込まれていました。発掘調査では、地山を断ち割って杭の打ち込まれた様子を観察し、記録しました。
第3号木組遺構のやや下流の、谷の底面付近で丸木弓が出土しました。片側には「ゆはず(弓の両端に弦(つる)をかける部分)」に使用した溝が観察できます。長さ102㎝。
昨年度の第6次から継続してきた発掘調査が終了しました。調査の結果、隣接する第3・4次調査から連続する遺構や、台地から谷につながる様子を捉えることができました。
なかでも、縄文時代後期に谷の中に造られた木組遺構は、小林八束1遺跡の縄文時代を考えるうえで貴重な成果となりました。