平右衛門遺跡は鴻巣市役所から西に約3㎞に位置し、国道17号(上尾道路)建設に伴う発掘調査を実施しています。
この遺跡は、奈良・平安時代の遺跡として登録されていますが、調査は今回が初めてということもあり、その成果が期待されます。
【令和元年9月更新】 ————————————————————————————————————
線路南側の調査区も、9月上旬に遺構群の調査が終了し、調査区の埋め戻しや、プレハブの撤去等、もとの状態に戻す作業も間もなく終了します。
奈良・平安時代の遺跡として登録されている平右衛門遺跡でしたが、発掘調査の結果、古墳時代後期から中世にかけて、幅広い時代の遺構・遺物を含む遺跡であることがわかりました。さらに遺構群は、調査区の外側へ広がることも予想されます。
周辺の遺跡としては、箕田(みだ)古墳群や箕田館跡(箕田源氏の居館)等が知られています。今後、上尾道路の調査が進行するに伴って、これらの遺跡との関係が明らかになることでしょう。
線路北側の調査区でも見つかった中世の大型の溝跡が検出されました。溝の中にはたくさんの柱穴が見つかっています。
調査区際では、上の写真の中世の溝跡に直交し、さらに大型の溝跡が見つかりました。堆積土の観察から、中世の溝跡よりも新しい溝跡と考えられます。
【令和元年7月更新】 ————————————————————————————————————
奈良時代(今から約1,300年前)の竪穴住居跡から出土した遺物を丁寧に掘り出しています。須恵器(すえき)の坏(つき)や甕、長頸壺(ちょうけいつぼ)、土師器(はじき)の坏や甕、甑(こしき)などが見つかっています。
線路北側は、すべての調査が終了しました。奈良時代の竪穴住居跡(1軒)、掘立柱建物跡(1棟)や、中世の火葬跡(3基)、竪穴状遺構(1基)、溝跡のほか、近世以降の柵列や、畠跡などが見つかりました。
6月上旬から線路南側の調査区を行っています。古墳時代後期から古代の竪穴住居跡5軒のほか、大型の溝跡、土壙・柱穴(ピット)等が見つかっています。
南側調査区では遺構の重なり方や出土遺物から、新しい溝跡から調査しています。
【令和元年5月更新】 ————————————————————————————————————
調査地点はJR高崎線の北鴻巣駅-鴻巣駅間(やや北鴻巣寄り)にあり、電車の車窓からも発掘調査の様子をうかがうことができます。
重機で表土を掘削した後、人力により地表面を薄く削り、土の色や固さ、遺物の有無などから遺構(その土地に掘り込まれた建物や溝の跡)を検出します。黒く見えるところが遺構です。
調査区は線路の北側と南側の2箇所に分かれています。北側の調査区では、竪穴住居跡1軒、溝跡4条のほか、土壙(墓や貯蔵穴など大きめの穴)、ピット(柱穴など小さめの穴)等が見つかりました。
遺構を調査しています。土層を観察するための土を残しながら、遺構の中に堆積した土を掘り下げていきます。必要に応じて土層の堆積の仕方や、遺物の出土した状況を写真や図面に記録します。
堆積土に焼けた土や炭化物を含む、平面形がT字状の浅い穴が見つかりました。壁は焼け、内部からは人のものと見られる骨片が見つかったことから、火葬跡と考えられます。