EXCAVATION RESULTS発掘成果
【381集】中尾遺跡

市町村毛呂山町
主な時代奈良・平安・近世以降
発行年度2011
中尾遺跡の所在する毛呂山町葛貫地区は、ほぼ関東山地と関東平野が接する部分に位置している。遺跡は南方を東流する高麗川の支流、葛川によって開析された幅の狭い、毛呂台地の一枝台上に立地する。
調査では奈良・平安時代を中心とする集落跡が検出された。高麗川・葛川流域では先行する集落跡はほとんど見られず、奈良時代になって突如出現し、平安時代にかけて急増する傾向が認められる。これは、霊亀二年(716)、現在の日高市や飯能市を中心に設置された高麗郡の動向と一致する。本遺跡が高麗郡に包摂されるか否か、なお検討を要すが、集落の形成は同郡の設置と深い関わりがあると思われる。本遺跡の南西約1㎞には、高麗氏の氏寺とされる大寺廃寺が存在する。同廃寺からは多くの瓦が出土しているが、当遺跡や北隣する東原遺跡でも同時期の瓦が出土しており、その関連性が注意される。また、平安時代の住居跡のうちの1軒は、毛呂山町では初の検出となる鍛冶工房跡である。