EXCAVATION RESULTS発掘成果
【391集】皿沼西/戸森前
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市町村深谷市
主な時代縄文・弥生・古墳・奈良・平安・近世
発行年度2012
皿沼西遺跡・戸森前遺跡は、深谷市上敷免皿沼および同市西島外谷戸に位置する遺跡である。両遺跡は、旧大堀川によって分断され、北側の皿沼西遺跡、南側の戸森前遺跡に分かれる。両遺跡では、縄文時代、弥生時代、奈良・平安時代、そして江戸時代の遺構や遺物を検出した。
古墳時代前期には、戸森前遺跡から竪穴住居跡で構成される集落跡を検出し、この集落跡で用いていたと考えられる土器や木器が、旧大堀川の河川跡から出土した。土器は、小山川流域と群馬県東毛地方とのかかわりのあるものである。
古墳時代後期になると、戸森前遺跡の集落は途絶し、皿沼西遺跡にいわゆる「初期カマド」をもつ竪穴住居跡が登場する。しかし、この集落は、旧大堀川を埋没させた洪水層(白色粘土層)の形成を境に途絶する。
再び集落が登場するのは、7世紀末から8世紀初めになってからである。竪穴住居跡と掘立柱建物跡で構成された集落である。順調に奈良時代、平安時代と推移した集落であったが、弘仁9年(818)、突然、大地震に襲われる。傾きながら地中に沈み込んだ総柱建物や、横倒しとなった側柱建物などを検出した。地震による被害の大きさはもとより、建物倒壊状況から建築構造を考察することができた。
地震の後、集落は復興を遂げたが、それまでのような掘立柱建物跡はみられず、小規模な竪穴住居跡で構成される集落が、平安時代半ばまで続いた。そして、江戸時代には、屋敷跡と田畑で構成される農村の一部を検出した。