EXCAVATION RESULTS発掘成果
【409集】諏訪北Ⅰ/諏訪北Ⅱ/諏訪南/二ツ家下
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市町村桶川市/北本市
主な時代縄文・平安・中近世
発行年度2014
諏訪北Ⅰ遺跡・諏訪北Ⅱ遺跡・諏訪南遺跡の3遺跡は、大宮台地北西部の西縁に位置している。諏訪北Ⅰ遺跡では、直線的な溝跡によって区画された範囲から掘立柱建物跡、地下式壙、土壙などの中世遺構を検出した。諏訪北Ⅱ遺跡では、縄文時代中期後半から後期前葉の住居跡を検出し、数軒単位で構成される小規模集落の様相が明らかになった。中・近世ではL字形に屈曲する薬研堀と、その周囲から掘立柱建物跡、溝跡、井戸跡、土壙などの多数の遺構を検出した。諏訪南遺跡では、縄文時代中期後半の竪穴住居跡を3軒検出し、小規模集落の様相が明らかになった。中・近世では地割溝によって画された畝状遺構などを検出した。
一方、二ツ家下遺跡は大宮台地北西部の東縁に位置し、江戸時代の五街道の一つである中山道に面している。縄文時代の炉穴、土器埋設遺構、陥穴を含む土壙などを検出した。また、平安時代の火葬跡と考えられる土壙を検出した。近世では、地割溝の中に広がる畠地と屋敷地を検出し、桶川宿周辺の土地利用の一端が明らかになった。