EXCAVATION RESULTS発掘成果
【421集】諏訪野遺跡Ⅱ
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市町村桶川市
主な時代縄文・古墳・近世
発行年度2016
諏訪野遺跡は桶川市西部の大宮台地内陸部に所在し、荒川支流である江川谷奥の低湿地をのぞむ台地縁辺に位置している。今回の調査に関わる報告書は二回にわたって刊行され、本書はその二冊目にあたる。
遺跡は台地部と低地部からなり、台地部からは縄文時代と近世の集落跡、低地部からは縄文時代の遺物包含層が発見された。縄文時代の集落跡からは前期から後期までの遺構・遺物が出土した。前期の竪穴住居跡は9軒存在し、全てを本書に収録した。不整な隅丸長方形で、掘り込みはいずれもごく浅く、中期の遺構に壊されたものも多かったものと考えられる。
中期の竪穴住居跡は66軒で、うち21軒を本書に収録した。直径約180mの環状集落を形成していた。同時期の他の遺跡と比較しても残存状態が良好であり、深さが1m近いものもあった。平面形は円形や隅丸長方形で、床面中央のやや奥壁寄りに炉跡を持ち、前面に出入り口施設を持っていた。また、柱穴の配置は主軸線を挟んで左右に2本づつが対置された4本柱のものが多くみられた。住居跡の時期は中期中葉から後葉への移行期に集中しており、極めて短期間に栄えた集落であることがわかった。
後期の住居跡は3軒で、全てを本書に収録した。炉跡と柱穴のみが発見されており、掘り込みが削平されたか、当初から掘り込みを持たない平地式の建物であった可能性もある。
縄文時代の土壙は多くが墓壙であったと考えられ、住居跡群の間隙に散漫に分布していた。ピットは環状集落の中央広場縁辺に集中していた。
低地部の遺物包含層からは前期中葉から晩期までの土器片が出土したが、後期前葉のものが最も多く、同時期の土器埋設遺構も発見された。また、大型の石棒や石皿も出土した。
古墳時代の住居跡は3軒で、全てを本書に収録した。いずれも6世紀中葉のもので、出土遺物は在地の比企型坏や模倣坏が主体であったが、黒色塗彩の模倣坏が出土しており、東関東方面からの影響が考えられる。
近世の遺構は台地奥部に集中しており、ヤドロと呼ばれる河成堆積物が荒川の河川敷から持ち込まれた近世の農地開発に前後して残されたものと考えられる。本書には土壙と溝を収録した。台地先端部には切り通しを伴う道路跡が存在した。覆土に浅間A火山灰を含んでおり、江戸後期から幕末のものと考えられた。
出土遺物は、縄文土器・石器・土製品・石製品、古墳時代の土師器・土製支脚、近世の陶磁器類・石製品・金属製品等で、他に旧石器時代の遺物が少量出土した。