EXCAVATION RESULTS発掘成果

【441集】長竹遺跡Ⅲ

長竹遺跡Ⅲ

市町村加須市

主な時代縄文

発行年度2018

長竹遺跡は、利根川沿いの埋没台地上に立地する縄文時代から近世にわたる複合遺跡である。今回の調査は縄文時代(第二面)の後期から晩期にかけて形成された環状盛土遺構のうち北側の盛土遺構から検出された遺構・遺物に関する報告である。
盛土外径は想定190mに及び、盛土の形成は環の内縁側から外縁側に向かって形成されていった。環の内縁側にある窪地は基盤土壌であるローム層が削平されたような状況であった。遺構は主に後期前葉から晩期中葉にかけて盛土の最も標高の高い範囲から集中して検出された。検出された34軒の住居跡は開始期にあたる後期前葉では、環の最も標高の高い部分から1軒のみ検出され、後期中葉から後葉にかけては環の外縁側に拡張し、軒数も増加してくる。各住居跡は、同一地点内で拡張建て替えが頻繁に行われ、床面のかさ上げも行われている。
後期後葉の住居跡は南盛土で検出された最大規模の一辺12m級の「大形竪穴建物址」は、北盛土では検出されていないが、8m級の住居跡が検出されている。また、狭い範囲内での住居跡の重複が著しく後期後葉から晩期前葉にかけて最大7軒の住居跡が重複していた。
晩期に入ると規模が小形化し、軒数も減少している。各時期の住居跡のプランの変遷は南盛土と一部異なり、後期前葉の不整円形から後期中葉の楕円形へ変化し、後期後葉前半の隅円方形、後葉後半から晩期前葉までの方形プランへ変化する。晩期では、プランが崩れ、不整楕円形ないしは隅円方形で柱穴や入り口部の配置もやや大形の第105号住居跡を除いて規則的配置をとらない住居跡が検出されるようになる。晩期中葉に入ると、住居跡は検出されず、包含層に伴う焼土跡や環の内縁側から柱穴が検出される。
土壙は住居跡が密集する地域よりやや環の内縁側から検出され、円筒形で貯蔵穴が想定される土壙も検出された。また、盛土の内縁側傾斜面に沿って晩期の土壙墓が67基検出された。多くの土壙墓は長方形で大きく3グループに分かれていた。斜面の等高線に沿って配置される土壙墓と直角に配置される土壙墓があり、重複が著しい。また注口土器・浅鉢・台付鉢・深鉢形土器大形破片などの副葬品が伴い、墓壙の底面両端から小穴が検出された。
出土遺物は、縄文時代早期から晩期中葉にかけて膨大な量の遺物が出土し、日用雑器から、祭祀遺物、狩猟用具、加工具、装身具などに至るまで幅広く出土した。

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