EXCAVATION RESULTS発掘成果
【474集】栗橋宿跡Ⅶ
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市町村久喜市
主な時代近世
発行年度2022
栗橋宿跡は利根川右岸に立地する日光道中7番目の宿場「栗橋宿」の町屋跡である。栗橋宿跡第9地点の発掘調査で検出された遺構は19世紀前葉以降を中心とする第一面、18世紀後葉~19世紀前葉の遺構を中心とする第二面に分けられる。本書ではこのうち第一面の調査成果を収録した。
調査の結果、第一面では町屋の裏空間に立ち並ぶ土蔵跡と考えられる建物跡とそれらに平行する敷地境と考えられる溝跡が検出された。調査区を東西に横断する「合ノ道」と言われた往来道も調査し、18世紀中頃以降続く路面の変遷を捉えることが出来た。
建物では、土蔵建物とみられる堅固な基礎構造を有す建物跡が多く検出されている。なかでも、一つの区画から樽地業建物跡が2棟検出されたのは注目される。この区画は久喜市所蔵『栗橋宿往還絵図』と対照すると「旅籠屋七兵衛」の区画であり、建物跡もこれに関連する施設と考えられる。また、この区画では建物跡に近接した土壙から、火災処理に伴う被熱した陶磁器が出土した。陶磁器類には中国産の磁器類が多く含まれており、特に「十錦手」といわれる清朝磁器がまとまって出土した事例は、地方の近世遺跡にあっては稀有な事例である。
同じ土壙からは「七兵衛」の釘書きがある瓦片も出土しており、これらの出土遺物も旅籠屋で保管されていた道具類や、建造物の部材と考えられる。
鍛冶関連遺物が多量に出土した区画は、同じく『絵図』にみえる「鍛冶屋」の区画にあたる。多量の鍛冶滓・鞴の羽口に加えて、鍛冶炉に据えられた炉寄石・使用された砥石など、近世鍛冶に関わる一括資料が得られた。
『絵図』との対比が可能なこれらの遺構・遺物は、近世宿場町の実態を示す貴重な資料と位置付けられる。