EXCAVATION RESULTS発掘成果
【480集】北2丁目陣屋跡Ⅱ
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市町村久喜市
主な時代近世
発行年度2024
北2丁目陣屋跡は利根川右岸、往昔の栗橋宿北端部に位置する。南東の栗橋宿本陣跡、南西の栗橋宿西本陣跡と境を接している。
江戸時代に陣屋が置かれていたとされるため、所在地の名を冠して北2丁目陣屋跡という包蔵地名である。しかし、陣屋の存在を示唆する遺構や遺物は検出されなかった。
19世紀中葉以降の第一面では、八坂神社社殿基礎をはじめとする神社関連の遺構と調査区南西部で遺物包含層を検出した。18世紀後様~19世紀初頭の」第二面では、土壙や杭列などを検出したが、建物跡や神社に関連する遺物は見つかっていない。今回の調査区は、神社境内の主要部にあたる。境内としては19世紀初頭以降から整備されたもので、それ以前は別の場所にあった可能性が高い。
第一面で検出した社殿跡は、大掛かりで堅固な基礎地業が行われており、19世紀中葉頃の土木技術の高さを窺うことができる。一方、調査区南西部の遺物包含層は『北2丁目陣屋跡』で報告した包含層と連動するもので、陶磁器類、土器類の日常用具を中心に出土した。また、泥面子など玩具類の出土集が多いことは特筆される。
第二面は、自然堆積した砂層上に遺構が構築されていた。埋没した流路跡も検出されたことから、一定の土地改変を行いながら生活面として使用したことが窺える。土壙覆土の上層に浅間Aテフラが混入していたことから、第二面の時期は、天明三年(1783年)を含む前後の段階と考えられる。