EXCAVATION RESULTS発掘成果
【481集】栗橋宿西本陣跡Ⅱ
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市町村久喜市
主な時代近世
発行年度2024
栗橋宿西本陣跡は利根川右岸に立地する日光道中7 番目の宿場「栗橋宿」の町屋跡である。本書ではこのうち調査区南側の調査成果を収録した。
栗橋宿西本陣跡の発掘調査は、19 世紀前葉以降を中心とする第一面、18 世紀中~後葉を中心とする第二、三面に分けられる。調査の結果、第一面では堅固な基礎構造を持つ建物跡群と、それらに平行する敷地境と考えられる溝跡、杭列等が検出された。第二、三面では明確な区画施設が検出されず、19 世紀前半に区画施設の整備が行われた可能性が窺われた。検出された土壙には、火災に関わる廃棄物を処理したものがみられ、栗橋宿本陣跡でも検出された火災処理土壙との同時性が見出された。この火災には、史料にみえる文政五年(1822)の栗橋宿大火が含まれると推定され、火災の広がりを明らかにすると共に、栗橋宿の変遷を考えるうえでの定点資料と位置付けられる。第三面の整地層の直下に堆積していた砂層の下の造成土から、18 世紀前葉を下限とする遺物が出土した。この砂層は、寛保二年(1742) もしくは宝暦二年(1752) の洪水に由来する可能性がある。
遺物は、少量の中国産磁器のほか、国産陶磁器が多量に出土し、組物も多く検出された。土器類では江戸で出土する製品とは異なる在地の製品が多く認められた。土壙を中心に出土した多種多様な一括遺物は、近世における地方宿場町の実態を示す良好な資料と位置付けられる。