EXCAVATION RESULTS発掘成果

【483集】長竹遺跡Ⅵ

長竹遺跡Ⅵ

市町村久喜市

主な時代近世

発行年度2024

長竹遺跡は、現利根川に沿った埋没した台地と、その上位に堆積した自然堤防に立地する、縄文時代から近世までの複合遺跡である。調査で発見した膨大な遺構と遺物は、すでに地区や調査面を別にした5回の報告を重ねている。今回(『長竹Ⅵ』、以下既刊も同じ)は、調査成果のうち、縄文時代後晩期に形成された環状盛土遺構の北側盛土中から出土した遺物を扱う。今報告で長竹遺跡に関する報告は完了する。環状盛土遺構は、地盤の相対沈降と氾濫土堆積の相乗により、多くの箇所が古代までに埋もれていた。その結果、現存する環状盛土遺構のなかでは稀代の遺存状態を保つこととなった。調査所見から推定される盛土の規模は、幅約40 m、外径約190 mに及び、既知の同種遺構のなかでは有数の規模となる。盛土は、調査区中央付近の小窪地を境に北と南に分けられる。調査では、その双方で性格の異なる遺構群を発見した。
1.9 mに及ぶ盛土が形成された南盛土では、覆土外周や床面に大量の焼土が残る大型の住居跡が発見された(『長竹Ⅱ』)。その上位では後期前葉から晩期中葉にかけての膨大な遺物が出土し、有意の打割痕を残す後期後葉の土器片(土製円盤Ⅱ類)が南西斜面に集中する状態が認められた(『長竹Ⅳ』)。さらに、低地を挟んだ南の環外では、盛土を伴わぬ小規模な遺構群が発見された(『長竹Ⅰ』)。
一方、小窪地の北では、台地の最も高い位置に住居跡が集中していた。また、小窪地側では、造営規格に通じる晩期前葉から中葉にかけての墓壙群が、当時としては破格な整然たる配置で構築されていた(『長竹Ⅲ』)。
今回の報告は、『長竹Ⅲ』で扱った地区の上位に堆積していた盛土中から出土した遺物を扱う。整理作業を通じ、北端の外周斜面にまとまる有意打割土器片や、内径側斜面の小窪地側に集中する晩期中葉の遺物など、『長竹Ⅳ』で認識された盛土節毎の傾向が、際立って現れることが判明した。特に、晩期中葉の遺物は充実しており、大洞式や前浦式、天神原式など、他の地方・地域に由来する土器が多く出土している。

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